1998年(平成10年)8月6日、第80回全国高校野球選手権大会の開会式が甲子園球場で行われた。校旗を堂々と掲げ、各地区予選を勝ち上がった出場校の入場行進に先立ち、別個のユニフォームの15名の野球部の主将が行進を行った。その中に、大社高校野球部主将、浅井健次の姿があった。1915年の第1回大会から、この80回大会まで一度の欠場もなく連続出場している高校の野球部主将15人が堂々の入場行進をした。 入場行進順 松江北高校 松江中 島根県松江市 大社高校 杵築中 島根県大社町 米子東高校 米子中 鳥取県米子市 鳥取西高校 鳥取中 鳥取県鳥取市 桐蔭高校 和歌山中 和歌山県和歌山市 兵庫高校 神戸二中 兵庫県神戸市 神戸高校 神戸一中 兵庫県神戸市 関西学院高校 関西学院中 兵庫県西宮市 市岡高校 市岡中 大阪府大阪市 同志社高校 同志社中 京都府京都市 山城高校 京都五中 京都府京都市 西京商高校 京都一商 京都府京都市 岐阜高校 岐阜中 岐阜県岐阜市 時習館高校 愛知四中 愛知県豊橋市 旭丘高校 愛知一中 愛知県名古屋市 全国野球選手権大会第1回大会の出場校は73校だった。現在も学校が存続し、連綿として野球部活動を続けている貴重な15校であるが、その中で人口2万人弱の町にある大社高校がその栄誉を担っているのは一段と輝きを増している。大社高校野球部の創部は、1901年(明治34年)で、当時プロ野球も六大学リーグもない時代だった。高校野球大会の前身である中等学校野球大会も無い時代である。前年慶応大学野球部が創設され、次年、早稲田大学に野球部ができた。大社高校は、早稲田大学と同じ歴史を持つ。大社高校野球部のスタートは、5年生6名、4年生6名、3年生5名、2年生4名、1年生1名の総勢22名による。捕手以外は素手で、アンダーシャツ姿で練習をしたという。 このように、他に類を見ない我が母校の野球部は、日本の高校球史に燦然と輝く歴史を誇っている。先輩から受け継いだ歴史を、私たちは後進につたえなくてはならない。 |
Kinki Inasakai