大社高校野球部アーカイブ

北井監督の教え

北井監督の写真
北井監督
   
第14期卒業生  松 田 武

 情熱の恩師、北井監督の口から出てくる言葉は、「お前たちを甲子園に連れていってやる!」私の心の内は、高い高い雲の上にあるような甲子園なのに、本当によく口にされる監督さんでした。
 昭和35年夏の大会、まだ県予選がはじまったばかりの夜のことです。松江の赤木旅館の風呂で北井さんと数名のチームメートと気持ちよく、一つの勝利を味わっていたとき、北井さんの口から突然、「お前達を甲子園に連れて行く!」と力強く言われた。私達選手は、あの夢にまで見た甲子園に出場できるなんて考えてもみなかったときのことなので、力強く自信に満ちたひとことで、頭のすみに甲子園というマンモス球場を植えつけていただいたように思われました。
 この年の夏は、一回戦、二回戦コールド勝ちでしたが、続く準決勝からは、やや苦しみながらも勝ち進み県優勝、続いて西中国大会も優勝しました。私達にあの風呂での話を実現させていただきました。
 北井監督は、言葉だけでなく、練習一つ一つの内容に真心が入っていました。我々にとっては、苦しいはずの個人ノックの中でも、一球一球に甲子園に行くのだ、これが取れれば甲子園でも通用する選手になれるのだ。本当に心をこめられたノックの雨であったことを思い出します。
 監督は練習を休まれたことは一日たりともありませんでした。
 ある日のこと、監督は、知人の結婚式があるとの連絡があり、私達は当然休まれるだろうと少々喜びを感じながら練習に入りました。いよいよ練習も終わりに近づいてきたとき、監督は式服の姿でグランドに直行されたのです。やや酒も入っていたようですが、グランドに入るなり個人ノックでした。この日は、縁起のいい日だというのでさらに厳しいノックの雨、それも一球一球に甲子園という言葉が出てくるのです。
 この機会に、思い出に残った練習内容も紹介させていただけば、冬季には、毎日のメニューが変わり、きょうは日御碕、明日は鵜鷺往復、又次の日は弥山登頂ランニング、来る日は奉納山往復30回と、今では考えられないトレーニングをやらされました。当然監督はバイクで伴走。これで終わるのではありません、くたくたになり学校に帰ると、キャッチボールから始まる普通の練習をするのです。これが北井流の軽い練習だったように思います。このようにからだ全身に、強い体力、粘り強い精神力をうえつけ、あの夢にまで見た甲子園を浸透させられたようにも思われました。
 私達、社高14期卒業生は幸せものです。野球に関しては厳しく妥協をゆるされなかった北井さんですが、野球を通し、人間を作りあげ、社会性を学ばさせていただき、又精神力をつけていただいたうえに、甲子園には2年連続出場させていただくことができ、すばらしい思い出を残させていただくことができました。
 私は、中学校の監督を23年間やっておりますが、27年前の北井さんのお教え通り、人間味あふれる厳しい指導、基本に忠実な野球に取り組んでいるつもりです。でも、まだまだ北井さんのような指導術には届きません。今後も続けて勝負師北井監督に学んだことを大切にし、北井野球を受け継いでいき、自分の野球人生の中に生かしていきたいと考えております。





Kinki Inasakai