大社高校野球部アーカイブ

名投手・北井正雄


 1936年(昭和11年)日本プロ野球は産声を挙げた。その中に、東の沢村・西の北井といわれた名投手がいた。北井正雄、旧大社中学を卒業し関西大学でエースとして活躍し、創設された阪急ブレーブスに入団。初年度は、12勝6敗、防御率1.79、打率3割2分5厘という堂々とした成績を残した。ところが翌年の夏、病に倒れ急逝。僅か一年と三ヵ月のプロ野球人生だった。
 北井正雄投手の初先発は開幕して4試合目のタイガース戦。これは、関西の電鉄球団同士のお互いにどうしても負けられない一戦だった。阪急は、北井投手を温存しこの一戦に臨んだ

<先発メンバー>
タイガース (中)平桝 (左)藤井 (右)御園生 (一)松木 (三)景浦 (投)藤村 (捕)小川 (二)伊賀上 (遊)岡田
阪   急 (中)西村 (三)中村 (左)宮武  (右)山下 (一)宇野 (二)石田 (遊)川村 (捕)倉本  (投)北井

タイガース 1 0 0 0 0 0 0 1 0 = 2  打数37 安打8 三振 4 四死0 盗塁1 失策2
阪   急 0 0 2 0 0 0 0 0 1 = 3  打数37 安打8 三振11 四死2 盗塁1 失策2

北井正雄投手(ブロマイド写真)
北井投手最期の出場
 翌1937年(昭和12年)のプロ野球は、春・秋の2シーズン制で、3月26日に開幕した。北井投手は病(肺結核)のため、登板から遠ざかっていたが、6月24日金鯱戦に先発登板、5イニング投げ被安打9、失点3だった。相手投手は古谷、北井投手がプロ入り最初の敗戦の時の全く同じチーム、同じ投手という奇縁だった。以後、2度とマウンドに立つことはなかった。
 マウンドには立たなくなったが、打撃を変われ、最終登板となった翌日から5番打者、野手(レフト)として出場している。

6月26日(対イーグルス)4-2  7月1日(対セネターズ)4-0  2日(対セネターズ)4-2
  3日(対タイガース)4-1  4日(対タイガース)4-1    7日(対金鯱)5-1


7月中旬 入院
8月7日 肺血腫に腸チフスを併発し、谷岡病院で死去。享年25歳。

1936年(昭和11年) 12勝6敗 防御率1.79 打率3割2分5厘
1937年(昭和12年) 2勝4敗 防御率3.33 打率3割1分9厘

 日本プロ野球草創期、東の沢村・西の北井と言われた北井正雄投手は、我が母校大社高校の誉れである。170余センチの体から投げ込む鋭くスライドする球は、スライダーの元祖といわれ、強打者をきりきり舞いさせた。そして与四球の少ないコントロールの良い投手であった。しかも、打撃センも良く3割バッターとしても活躍し、時には3番打者、4番打者としてチームに貢献している。





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