甲子園大会の入場式予行演習を終えて (後列左から) 中部長、高畑、千家、川上幸、松尾、今岡、鎌田 (中列左から) 北井監督、山崎(義)、岡田、森山、山中教諭 (前列左から) 松田、持田、飯塚、山崎(登)、若月、祝部 |
部 長 中 和夫 監 督 北井善衛 コーチ 青野修三(立教) 主 将 千家敬麿 マネージャー鎌田和典(三年) 投 手 若月宏之(三年) 捕 手 千家敬麿(三年) 一塁手 祝部豊久(三年) 二塁手 松田 武(三年) 三塁手 山崎登由(三年) 遊撃手 持田紘治(三年) 左翼手 森山信雄(三年) 中堅手 飯塚 孝(三年) 右翼手 高畑忠善(三年) 岡田公志(二年) 山崎義則(二年) 川上幸信(二年) |
前年に引き続き甲子園大会2年連続出場の輝かしい偉業をなしとげた。大社野球史上初の快挙である。好投手あるところに優勝ありという言葉を若月投手は立派に証明した。過去における幾多の好投手は必ずしも優勝をつかみとった訳ではない。勝利の運に恵まれなかったのである。若月の好投、千家を中心とするバックの攻撃力と守備力、加えて精神力の総合力が北井監督の指揮の妙と相まって勝運に乗って栄冠に結びついたといえよう。 島根予選 1回戦 大 社 1 0 0 0 0 5 0 1 0 0 0 0 6 = 13 津和野 0 0 0 0 0 5 0 2 0 0 0 0 0 = 7 2回戦 大 社 0 0 4 0 0 0 0 0 0 = 4 出 雲 0 0 0 0 0 0 0 0 0 = 0 3回戦 大 田 2 0 0 0 0 0 1 0 0 = 3 大 社 0 0 0 0 0 1 0 0 3X= 4 友情のマスク(朝日新聞大会号)
県予選第5日の準々決勝で大社と大田が対戦することになったとき関係者は気をもんだ。2年前、大田球場で対戦してトラブルを起こし、大田はそれ以後出場停止を受けていた間柄だ。しかし試合が始まって見ると、そんな心配は吹き飛んだ。1回表大田攻撃のときチップを受けた大社千家のマスクがこわれ、使えなくなったのを見た大田柿田捕手は、すぐ自分のマスクを持ってかけより、仲よく一つのマスクを交互に使い無事に試合を終わった。また3回表に大田足立一塁手、6回裏大社千家捕手、8回表大田柿田捕手とそれぞれ死球を受けたときも、両軍選手はかけよって激励するなど、4対3と接戦だった試合内容とともに観衆を魅了、久佐大田校長も「この2年間選手たちは卑屈にならず頑張ってくれました」と満足げだった。準決勝 大 社 0 0 0 2 0 0 0 1 1 = 4 浜 田 0 0 1 0 1 0 0 0 0 = 2 西中国大会 西中国大会は7月30日小雨降る浜田市営球場で幕を開けた。午前9時前年代表の大社高校を先頭に萩商工、安来、下関商の銃で入場、高橋高野連会長の開会の挨拶についで、大社千家主将の優勝旗返還と力強い宣誓があって同10時小川浜田市長の始球でプレーを開始した。 大社は1回戦で山口の下関商を4対3で退け、決勝戦は安来高を、9回投手暴投による決勝の1点をあげて優勝した。 1回戦 下関商 0 0 0 0 1 0 0 2 0 = 3 大 社 0 2 0 0 2 0 0 0 0 = 4 事実上の決勝戦とみられていた両チームの対戦は予想通りの最後まで予断を許さぬ緊迫した好ゲームを展開したが、大社は病気をおして登板した若月の好投と試合運びのうまさを発揮して長打を誇る下関商を降して決勝戦に進んだ。 この試合で5回裏無死満塁と大社が追加得点をあげる絶好のチャンスに千家の一打は遊撃左を抜くクリンヒット、走者2人が生還して差は4−1と開いた。8回表2点をとられて差1点、さらに9回表も無死走者1塁において千家のけん制はよくこれを刺しピンチを未然に防いだ。この日の千家は全くあざやかなヒーローだ。試合を終わった千家は「決勝戦ももらう」と顔をほころばせていた。 決 勝 大 社 0 0 0 0 0 0 0 0 1 = 1 安 来 0 0 0 0 0 0 0 0 0 = 0 0−0のまま延長戦にはいるかと思われたが、9回表、大社はついに得点をあげて安来を押し切った。この回、一死後千家は3塁左を抜く安打、続く松田も3塁内野安打して三塁手がこれを1塁に悪投する間に千家3塁へ。次の若月に対し、安来大櫃投手がスクイズをはずそうと投げた球はとんでもない高い球となり、千家生還して貴重な1点をあげた。 |
優勝に輝くナインと地元の喜び
安来最後の打者浜の一撃は二塁飛となって万事休した。大社松田二塁手が、がっちりウイニングボールを握った。午後3時38分ワッと立ち上がる3塁側大社校応援団、安来高打者浜は無念そうな表情、真っ黒な顔をクシャクシャにして走り寄る大社高選手たち。試合が終わって直ちに閉会式が行われた。高橋会長から大社高千家主将に賞状、栄光の大優勝旗が祝部選手に渡され、午後4時8分大会の幕を閉じた試合終了と同時にラジオにかじりついていた大社の町民は一斉に立ち上がり肩をたたきあった。試合が始まるとともに、町内の表通りは人通りがとだえた。各戸のラジオはボリュウームいっぱいにあけられ、町内どこにいてもラジオの実況が耳に飛び込む。0−0の均衡が最終回の大社高の攻撃で破れたとき、全町民の興奮の声で町内はわき立った。校内では熊谷教頭がラジオに耳を傾けながら留守を守っていた。甲子園出場決定と同時に次々と祝電が入り、流れる汗をふきもせずに、早くも甲子園出場の準備を始めた。 同夜7時59分大社駅着の列車で真っ黒に日焼けしたナインが帰ってきた。駅頭には約千五百人の町民が「祝」と大きく染め抜いたノボリ20数本を立て小旗をふって迎えた。「バンザイ」の声に迎えられた選手たちは真っ黒な顔に歯だけが白く印象的、早速学校から差し回したトラックに分乗し、西中国大会優勝旗を先頭に市中パレードし、出雲大社前の勢溜りの歓迎会にのぞんだ。外苑の松林にこだまする町民の拍手とバンザイの声は夏空にどよめいた。このあと40台の車を連ねて町内をパレードした。 |
第43回全国高校野球選手権大会(兵庫県西宮市 甲子園球場) 8月9日午前9時半から大阪フィステバル・ホールで抽せん会が行われ、大会2日の12日午前8時半から南北海道代表の札幌商高と対戦することになった。 第43回全国高校野球選手権大会の入場式は8月11日行われた。5万余の大観衆の拍手に迎えられ大社ナインは19番目に入場、真っ白なユニフォームにTAISHAの文字もあざやかに、西中国大会優勝旗を持つ千家主将を先頭に堂々の行進であった。 大会2日(8月12日、第一試合) 大 社(西 中 国 ) 0 0 0 0 0 5 0 2 1 1 = 9 札幌商(南北海道) 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 = 1 開始8時31分 終了10時57分 試合時間 2時間26分 審判ー猿丸(主審)、藤本、多田羅(塁審) <大 社> 打 得 安 点 振 四 犠 盗 失 (二)松 田 4 1 1 1 0 0 1 0 1 (遊)持 田 4 0 1 1 0 0 1 0 0 (三)山 崎 5 1 4 2 0 0 0 0 0 (捕)千 家 5 0 1 0 1 0 0 0 0 (投)若 月 3 1 1 0 0 1 1 0 1 (一)祝 部 4 2 2 1 1 1 0 0 0 (中)飯 塚 5 1 1 1 1 0 0 0 0 (左)森 山 4 2 0 1 0 0 1 0 0 (右)高 畑 2 1 2 2 0 1 1 0 0 残塁 8 36 9 13 9 3 3 5 0 2 <札幌商> 打 得 安 点 振 四 犠 盗 失 (二)多 田 4 0 0 0 0 0 0 0 0 (一)杉 本 4 0 0 0 0 0 0 0 0 (遊)吉 本 4 0 1 1 1 0 0 0 2 (中)原 田 4 0 0 0 0 0 0 0 0 (左)当 銀 3 0 0 0 1 0 0 0 0 打 植 村 1 0 0 0 0 0 0 0 0 (投)中 島 3 0 0 0 2 0 0 0 1 右投 中 島 打 津 田 1 0 0 0 0 0 0 0 0 (三)田 中 3 0 0 0 1 0 0 0 0 (捕) 陳 2 0 0 0 1 0 1 0 0 (右)横 山 1 0 0 0 1 0 0 0 0 投右 盛 田 1 1 0 0 0 0 0 0 0 打 名児爺 1 0 0 0 0 0 0 0 0 右 小 倉 0 0 0 0 0 0 0 0 0 残塁 5 32 1 3 1 7 0 1 0 3 投 手 回 打者 安打 三振 四死球 若 月 9回 33 3 7 0 中 島 61/3 30 3 0 2 盛 田 22/3 14 4 3 1 2塁打=祝部、高畑 暴投=盛田 捕逸=陳 【 評 】 大社の打力は5回に爆発した。きっかけは若月の幸運な内野安打。次打者が6番の祝部。札商の中島党首は当然、大社はバントでくるだろうと考えたようだ。第1球は真ん中高めの平凡な直球。バントさせて若月の二封をはかっちょうな投球だった。しかし、祝部は待ってましたとばかりに右中間を抜いた。会心の当たりだ。若月は2塁を越えたところでよろめかなければ一気に生還できたところ。しかし、ウラをかいたような祝部の一撃は中島投手に激しい動揺を与えた。内野は全身守備。飯塚は1−2から内角にきたシュートに詰まったが、3塁手の頭上をフワリと越えて若月はかえった。この幸運を生かすように大社はさらに慎重に攻め続けた。森山のスクイズ投手失、高畑中犠飛、松田左前安打。コーナーワークのよかった中島はここで降板した。代わった左腕盛田は第一球を暴投、大社はこの後もうまく攻め持田のスクイズと山崎の安打で計5点をあげた。祝部に打たせた強硬策が成功したのである。札商は6回盛田投ゴロ失と杉本・吉本の連安打で1点を返したが、調子にのる大社は7回以後もよく打って点差を開いた。バントもうまいが、ミートに徹底した打撃もなかなか味がある。札商は3回虫1、2塁を逸したのも痛かったが、2回原田が左翼へいぎわに打った大飛球を森山に好捕さたのも惜しい。抜けていたら先制機であり、勝負はどうなっていたことか。大社の若月はカーブに威力があったが、直球もコーナーをついて制球力があった。 <試合経過> (1回) 大社=松田二ゴロ、持田一飛、山崎右飛。 札商=多田投直、杉本二飛、吉本三ゴロ。 (2回) 大社=千家左前安打、若月バントで二進、祝部の二ゴロで千家三進、飯塚三邪飛。 札商=原田左飛、当銀・中島ともに三振。 (3回) 大社=森山左飛、高畑一塁キャンパスに当たる内野安打で出たが、松田の第2球目のサイン不徹底で一塁を飛び出し捕手からのけん制に一塁タッチアウト、松田二飛。 札商=田中右前安打、陳のバントを千家2塁に高投して一、二塁、横山スリーバント失敗、多田投ゴロで田中三封。 (4回) 大社=持田右飛、山崎一、二塁間安打、千家バント失敗の捕邪飛、打者若月のとき山崎二盗失敗。 札商=吉本・原田ともに三ゴロ、当銀三飛。 (5回) 大社=若月ゆるい三ゴロの内野安打、祝部右中間二塁打、若月二塁を回って転倒し、三塁にストップ、飯塚前進守備の三塁手頭上を越す安打で若月生還して先制点、祝部三進、打った飯塚も好走よく二塁に進む、森山のスクイズは投手中島のエラーとなり祝部生還して2点目、なお一、三塁、高畑の中犠飛で飯塚生還、松田左前安打で一,二塁、札商の投手盛田となり中島は右翼にまわる)、持田への第一球は暴投となり走者二、三進、持田のスクイズは盛田本塁に送球したが間に合わず森山生還、松田三進、打者山崎のとき持田二盗失敗、山崎中前安打して松田生還5点目、千家三振。 札商=中島・田中・陳三者三振。 (6回) 大社=若月二飛、祝部・飯塚ともに三振。 札商=盛田盗ゴロ失、多田二ゴロで盛田二進、杉本中前安打で一、三塁、吉本中前安打で盛田生還、杉本二進、原田二飛、当銀左飛。 (7回) 大社=森山遊ゴロ失に打者高畑のとき捕手逸球で二進、高畑左翼線二塁打して森山生還、松田ドラッグバンド失敗の捕邪飛、持田右前安打して一、三塁。山崎中前安打で高畑生還、なお一、二塁となったが、千家捕邪飛、若月中飛。 札商=中島遊ゴロ、田中左飛、陳投ゴロ。 (8回) 大社=祝部四球、(札商中島再び登板、盛田右翼へ)飯塚バントは投手から二塁に送られたが遊撃手吉本落球して一、二塁。森山二飛、高畑四球で一死満塁、松田左犠飛で祝部生還、町田遊ゴロ。 札商=代打名児爺投ゴロ、多田二ゴロ、杉本二ゴロ失ででたが吉本三振。 (9回) 大社=(札商右翼小倉となる)山崎中前安打、千家二ゴロで山崎二進、打者若月のとき捕逸で山崎三進、若月四球、祝部左前安打で山崎生還、若月二進、飯塚二飛、森山左直。 札商=原田中飛、当銀の代打植村三邪飛、中島の代打津田遊ゴロ。 |
【 菊水の校旗センターポールに揚がる 】 午前10時57分札商の代打津田の一撃が遊ゴロに終わるとワッと拍手と歓声が甲子園のスタンドにこだました。「宇迦の遠山雲低く、くれない香う空の色、松のみどりも神さびて・・・」の校歌吹奏とともに紫に菊水を白く染め抜いた校旗が甲子園のセンターポールに高く掲げられた。昭和6年の第17回大会以来実に30年振りのことである。選手も先輩もそしてスタンドの応援団も大社町民もすべてがその勝利の感激をかみしめた、ひとときだった。校歌吹奏が終わると一塁側大社応援団は総立 " 必勝大社 " と書いたウチワを振って大喜び、健闘したナインを激励した。スタンドの千家尊宣先輩、新宮校長、竹内京三後援会副会長などもともにこの勝利の喜びを分かち合った・この日の大社応援団の一塁側スタンドには同校生徒応援団と町の有志で結成されている応援団が、夜行列車、バスでかけつけ、特別につくった大ウチワで声援をおくった。中でも多田龍蔵県議を団長とする町の応援団50人は毎月会費を100円ずつ積み立てていたというだけあって、いずれおとらぬ熱狂的なファンぞろいで一球一打に猛烈な応援振りであった。また大社側スタンドには「番内」があらわれ人目を引いた。この番内になったのは大社町の落合祐一郎さんで、5万円をかけてわざわざ錦織りの衣装をこしらえたという熱心さ、カンカン照りのなかで山の神の面をつけて汗びっしょりの応援であった。テレビも時々この応援をとらえていた。境出身の女優司葉子も大社応援のためにスタンドに姿を見せていた。 札商との試合開始直前、大社高ベンチ前に中部長が一握りの砂をパラパラとまいた。これは選手の母親たちが深夜(子の刻)にそろって稲佐の浜でミソギしたあと、浜の砂を持って出雲大社に参拝して必勝を祈り、それを球場に届けたものである。大社ではその砂を神棚にそなえて一家の安全を祈るというしきたりがある。 同じ11日の夕方、若月投手にあてに激励電報が届いた。昨年この甲子園で対戦し投げ合った静岡高の石田投手からのもので、美しい友情のひとこまであった。 |
大会6日(8月16日、第1試合) 法政二(神奈川) 0 2 0 0 2 0 0 0 0 0 = 4 大 社(西中国) 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 = 0 開始10時00分 終了0時11分 試合時間 2時間11分 審判ー鍛治川(主審)、大野、野口、多々羅(塁審) <法政二> 打 得 安 点 振 四 犠 盗 失 (遊)幕 田 4 1 1 1 1 0 0 0 0 (右)五 明 4 0 1 1 1 0 0 0 0 (中)的 場 4 0 0 0 0 0 0 0 0 (三)是 久 3 1 1 0 0 1 0 0 0 (投)柴 田 4 1 1 0 1 0 0 0 0 (左)内 田 4 0 2 2 0 0 0 0 0 左 岡 沢 0 0 0 0 0 0 0 0 0 (一)原 田 4 0 0 0 0 0 0 0 0 (捕)関 根 3 0 0 0 1 0 0 0 0 (二)長 島 2 1 0 0 2 1 0 1 0 残塁 3 32 4 6 4 6 1 0 1 0 <大 社> 打 得 安 点 振 四 犠 盗 失 (遊)持 田 4 0 0 0 2 0 0 0 1 (二)松 田 4 0 1 0 2 0 0 0 0 (右)高 畑 3 0 1 0 0 1 0 0 0 (三)山 崎 4 0 0 0 2 0 0 0 0 (捕)千 家 4 0 0 0 1 0 0 0 0 (一)祝 部 3 0 1 0 0 1 0 0 0 (投)若 月 3 0 0 0 1 0 1 0 0 (中)飯 塚 2 0 0 0 1 0 1 0 0 (左)森 山 3 0 1 0 1 0 0 0 0 残塁 7 30 0 4 9 10 2 2 0 1 投 手 回 打者 安打 三振 四死球 柴 田 9回 34 4 10 2 若 月 9回 34 6 6 2 2塁打=柴田、内田、幕田 併殺=大社2 ボーク=柴田 【 評 】 法政二は強い。ナインがそれぞれの持ち味を生かし自信に満ちたプレーを見せている。これは昨年の夏と今春の選抜大会に優勝を勝ち取っていることによるだろうが、それにしても柴田投手を軸によくまとまっている。2日目の対宇都宮学園戦にも初回先制点をあげ大量得点の因を作った。この日も2回、先頭の是久が三塁手強襲の安打、柴田はバントを一つファールのあと強襲して左翼線に二塁打して二、三塁。いずれも腰がよくはいり三塁手が横っ飛びに追いつこうとしても間に合わぬ強い当たりだった。つづく内田が2−1から内角球を巧みにたたいて右翼ラッキーゾーンにワンバウンドで入る二塁打を放ち2者を迎え入れた。先制した法政二はその攻守に余裕が見え、さらに5回二死から四球で二盗した長島が幕田の左越え二塁打でかえり、五明の中前打で幕田も好走して一気に2塁から生還した。大社の若月に息をつかせぬ見事な速攻だった。若月も決して悪い出来でなくむしろ対札幌商戦よりも球の切れがよかった。1回などはいきなり2者を三振に打ち取るという快調さでかなりの速球もあった。打たれたのはむしろ法政二の打力をたたえるべきだろう。バックスもまた若月投手を盛りあげた。3回幕田の強いゴロを一塁の祝部が好捕。五明の三、遊間ヒット性の一打を三塁手の山崎が一塁に刺し、また右翼難飛球を高畑が背走してとるなど好プレーがつづいた。このうち一つでも抜けておれば、大社はさらに混乱したこtぽだろう。 この好守も常日ごろの猛練習の現れだろう。大社にとって惜しまれるのは5回の逸機であった。一死一、三塁と柴田を攻めたが、森山のスクイズ・バントが捕邪飛となって好機をつぶした。敗れはしたが法政二の柴田に最後までくい下がり善戦したことは見ていても気持ちのよいものだった。欲をいえばコントロールのよい柴田に対してはもっと最初から積極的に打ってもらいたかった。(中山) <試合経過> (1回) 法政二=幕田・五明ともに三振、的場左飛。 大 社=持田・松田ともに三振、高畑二ゴロ。 (2回) 法政二=是久三塁線を抜く安打、柴田も三塁線突破の二塁打で無死二、三塁。内田2−1後の高目の球を右翼ラッキーゾーンにワン・バウンドで入る痛烈な二塁打を放ち是久、柴田ホームイン、原田遊直、関根一直、長島三振。 大 社=山崎二直、千家右飛、祝部右前安打、若月三振。(法政二2−0大社) (3回) 法政二=幕田一塁線を襲う強いゴロを放ったが一塁手の好守にはばまれ、五明の三塁右の好打も三塁手の美技に押さえられ的場の右翼大飛球も右翼手の好捕に倒る。 大 社=飯塚・森山・持田三者三振。 (4回) 法政二=是久四球で出たが柴田投ゴロで併殺、内田投ゴロ。 大 社=松田三振、高畑死球、千家右飛 (5回) 法政二=原田二ゴロ、関根三ゴロ、長島四球に出で幕田打者のとき第一球目に二盗、幕田1−3の第五球目を左中間へ痛烈な二塁打を浴びせて長島二塁から生還、五明も中前ヒットし幕田を迎え入れる。本塁送球の間に五明二進、的場左飛。 大 社=祝部死球、若月の一塁バントは一塁手の野選となり、無死一、二塁と初めてチャンスを迎える。飯塚も一塁線にバントして走者二、三進したが森山0−1後の第二球をスクイズ失敗して捕邪飛、持田三ゴロに終わりチャンスを逸す。(法政二2−0大社) (6回) 法政二=是久二遊ゴロ野手の抵投で一挙二進、柴田左飛、内田遊ゴロで是久三進、原田二飛。、 大 社=松田三ゴロ、高畑右前安打に出でボークで二進、山崎一邪飛、千家三振。 (7回) 法政二=関根、長島ともに三振、幕田右飛。 大 社=祝部、若月、飯塚ともに中飛。 (8回) 法政二=五明二飛、的場遊ゴロ、是久一邪飛。 大 社=森山一、二塁間安打、持田バント失敗して投飛、松田左前安打と続き、好打順に期待がかけられたが高畑のよい当たりは右翼正面をつき、山崎は三進。 (9回) 法政二=柴田三振、内田左前安打、原田の三ゴロで併殺。 大 社=千家左飛、祝部三直、若月中飛に終わる。 若月の2者三振に打ち取る鋭いスタートに三塁側を埋めた約2000人の応援団もやんやの拍手、2回2点を奪われたが、3回表の五明の三遊間の安打性の当たりを転びながら捕って一塁に刺した山崎の好プレー、続く的場の右翼頭上を痛烈に襲った一撃を背走よく向こう向きのまま好捕した高畑の美技に足の踏み場のないほどの喜びだった。4対0とリードを許しても後半から当たりを取り戻すと大社打線に期待の声限りの声援を続け、5回、8回の反撃機に応援団は祈りに似たものがあったが遂に柴田の攻略はならなかった。 しかしファンの目には4点に押さえ強豪法政二高をわずか6安打に封じ、三振6を奪った若月の力投、ピンチを救った内野手の併殺プレーと強固なチームワークがはっきりと焼き付けられた。 試合が終わって法政二高の校歌が吹奏され大社選手は三塁ダッグアウト前に整列してうつむいている。過ぎた一コマ一コマを思い出しているかのようであった。吹奏が終わると選手達は一目散に応援団の前に並び「ありがとうございました」と挨拶、声をからした応援団は皆選手の健闘をたたえ「ようやった」と盛んな拍手をおくった。左翼手森山は両手いっぱいの土をつかんでいたが選手達には忘れられない思い出の一戦だった。その健闘ぶりは高校球史の一頁を飾るにふさわしいものであった。選手がグランドに向かって一礼、バックネット前を通ると「また来いよ」と観衆から一きわ高い拍手がわき起った。 負けて悔いなし。天下の強豪と善戦して選手たちは宿舎に帰った、玄関の大達磨が12日入れられた片目のままにらんでいる。両目そろうのはいつか。 18日10時多数の先輩、関係者の見送りをうけ「だいせん号」で大阪を発ち、夕方7時大社駅に着いた。勢溜では盛大な歓迎会が催された。 必勝のお守り 大社ナインは全員出雲大社のおまもりを首にさげて戦った。なかには五つもさげている選手もいた。 蛇の皮で出陣の前に体をなで試合に臨んだ。これはある父兄から贈られたもので、蛇のようにねばり強く勝負をすてるなという意味がある。2〜3年前から続いている。 大社河内分院から御神餅が50近くも送られ、選手たちはこれを食べて必勝を祈った。武神といわれる京都石清水八幡宮の神札もあった。 |
甲子園出場の喜び 昭和36年度主将 千家 敬麿 3年間の野球部生活の思い出は、まさに泉がわき出るように、次から次へと浮かんでくる。その中でも最も印象に残っているのは、やはり3年の夏の大会のことだろう。 西中国大会の優勝戦で、安来に勝ち連続甲子園出場が決定し、抱きあって喜んだこと。そして大社に帰った時のあの盛大な出迎え、パレード、祝賀会。また、甲子園で何万という観客中を優勝旗を持って行進した入場式。一回戦、札幌商に勝ち、校歌演奏の中で、ホームプレートに整列して、センターポールにあがる校旗をじっとみつめていた時の感激・・・。一生忘れられない思い出になることだろう。 これらは、輝かしい、楽しいものだが、苦しい、悲しい思い出も忘れられないものだ。苦しかった練習は、やはり、冬季練習と夏の合宿練習の時だろう。冬季練習といえば、監督の北井さんは、あの寒い中を一日も欠かさず練習を見にこられた。結局、あの北井さんの熱意に引っ張られて、暮れも正月も休みなしに激しい練習をやった。そのころから北井さんは「目標は甲子園で優勝することだ」と口ぐせのようにいっておられた。夏の合宿でも、北井さんは、大会前だからといいてコンディションを整える軽い練習などやらなかった。これは精神力を植えつけるために非常によかったと思う。ある新聞記者が、大会の2〜3日前に来て、あんまり激しい練習をやっているので、びっくりして、「あれでは、選手がバテてしまうだろう」といっていたが、大会後に会ったら、「大社高校の試合には、あの時のような練習に耐えた精神力が感じられた。」といって感心していたのを覚えている。 県大会は、とにかく苦しい試合の連続だった。まず一回戦で宿敵津和野と延長13回までやった。試合時間が実に4時間近く、しかも開会式後の炎天下だったから、終わったらフラフラするほどだった。忘れらないのが、3回戦の大田との試合だ。8回まで3対1でリードされ、9回裏に祝部のサヨナラ安打で、逆転勝ちするという、まさに奇跡的な勝利だった。こういう勝ち方をすると、チームに地力がついてきて、不思議と、もうどことやっても負けるような気がしなくなるのだ。次の浜田戦には、高畑が、あわや逆転打と思われる大飛球を、逆シングルで捕る、超ファインプレーをやった。彼は、大田戦の9回ツースリーの時、ベンチに帰り、水を飲んでその後同点打するということやった。大体彼は縁起をかつぐ方だったが、普段は縁起をかつがないような者でも、チャンスにはお守りを握ってからバッターボックスに入るというようなことをした。投手の若月が、県大会の終わり頃から高い熱を出して、特に西中国大会の下関商戦の時など、試合直前まで頭を冷やしているほどだった。ところが、その下商戦が一番球が速かったから驚いた。 このような彼で代表される根性と強い精神力は、やはり北井さんをはじめ先輩諸氏が、先頭に立って引っ張ってもらった、あのつらい練習のおかげだと思う。故竹内京三氏の試合前の訓示も気分を柔らげ、ファイトをかきたてるのに役立った。先輩同士の縦のつながりの強さ、これが伝統の力となってあれだけの力を発揮させたのだと思う。 |
Kinki Inasakai