読書感想文
迫害から考える 大社高校1年 三吉 佳奈子 「迫害」私はその意味が分からなかった。学校の授業で、第二次世界大戦中、ナチス党率いるナチス・ドイツによってユダヤ人が迫害されていたことは知っていた。しかし、その「迫害」という意味、その恐ろしさを私はまだ知らなかった。そして、この本を読み終えたときやっと理解した。迫害というものが、どんなに厳しいもので、人が人として生きられなくなることだということを。 生きることが奪われようとする中で、「生きるためには、考えなくてはならない」。そう言ったのは、母と共に強制収容所に送られたスランシーヌ・クリストフ。「あのオランダ人夫妻が持っている深なべは、夜中に用をたすのに使える。毎朝、顔や体を洗う洗面器としても。夜に備えてスープを少しとっておきたい時にも。だから、この砂糖と交換してもらおう」。そんなささいな、でも厳しい状況の中でもこの判断が、自分の生死を左右するのだ。 私だって、生きることを考えていないわけではない。しかし、それは「健康に生きる」ためにはどうするか、例えばバランスのよい食事や適度な運動や睡眠などである。「生きる」ことが当たり前の私にとって、「生きるために考えることが生死を分ける」など考えられない。 収容所では、まともな食事など与えられない。一日一回のねずみ入りのスープ。小さな肉の切れ端が浮かんでいることもあるが・・・。これは、人の食事といえるだろうか。私は、今日も毎食しっかり食べ、間食もした。おなかがすけばいつでも食べるものがある。空腹が満たされれば安心する。しかし、生きることが当たり前ではない収容所で、フランシーヌはこのスープを前に何を考えたのか。 収容所では、毎日たくさんの死体が出る。死因は様々で、病気や餓死する人、殺される人もいる。焼却所はフル稼働で、いつも高い煙突からひっきりなしに煙が上がっている。一つ忘れられない場面がある。荷車からピラミッド上に積みあげられた死体が一体転がり落ちた。係の二人が落ちた死体を荷車にもどそうとするが、二人とも収容されている人であり、衰弱した体にはやせ細った死体も重いらしく、のろのろとしか動けない。するとカポがやってきて、こん棒で二人を殴り、倒れた一人を荷車に放り込んだのだ。生きているのに。私は、怒りの気持ちを抑えきれないと同時に、こんなことが本当に現実に起きていたことにとてもショックを受けた。 ユダヤ人は人として扱われない。私は、読み進めるのが辛かった。しかし、私の心を支えたのは、フランシーヌや母が、同じく収容されている人たちと共に支え合い懸命に生きる姿だった。フランシーヌは、人として扱われない中でも、人として生きることをあきらめなかった。人は、考えることができる生き物だ。生き延びるために、自分以外のものを倒すのではなく、「考える」ことで、人らしく生きることができるのだ。胸が張り裂けそうな悲しみや恐怖、辛すぎる空腹や悪化する皮膚炎、蔓延する病気・・・。しかし、そうした中でも助け合ったり、自分よりもっとひどい目にあっている人たちに救いの手をさし伸べたりするフランシーヌたち。人として大切なことは何か考え続けた人たちは、このように気高い心を持ち続けられるのかと、その姿の美しさに目を見ひらかされる思いがした。 収容されて六年。フランシーヌと母は奇跡的に生き延びることができた。しかし、収容されて、何もかもが奪われた。やりたいこともできなかった。言いたいことも言えなかった。行きたい所にも行けなかった。意志も自由も何もかも奪われる、人権など存在しない。大きな力によって、自分らしく生きることが許されなくなる。 なぜ、人はある時、人でなくなってしまうのか。人らしく生きようとする人の自由を奪おうとする人の力が大きくなってしまうのか。それは、人が考えを止めた時からではないだろうか。「これはどうなのか」。「これでいいのか」。と、一人一人が考えることをすれば、たとえ小さな過ちがあったとしても、大きな過ちになる前に止めることができるのではないか。 世界中が大きな戦争をしていた時代には、自分の考えを持っていたとしても、それが大きな力に反対するようなものであれば、殺されてしまう。そんな世の中だったからだ。戦争は人の意志を奪ってしまう。 八月十五日。日本は七十三回目の終戦の日を迎えた。一度起こってしまったことは元に戻せないが、未来は変えることができる。私は、これからの学校生活や大人になってからも、考え続ける人でありたい。そして、行動を起こせる人になりたい。フランシーヌが生きることをあきらめないために考え続けたように、私も、みんなが人間らしく生きられるために自分なりに考え続けたい。 「いのちは贈り物」(岩崎書店) |
Kinki Inasakai