兵庫県西宮市の鳴尾球場跡地の記念碑

 全国高等学校野球選手権の前身である全国中等学校優勝野球大会は、1915年(大正四年)大阪府豊中球場で産声を上げ、1917年(大正六年)第三回大会から会場を兵庫県西宮市の鳴尾球場に移した。
 大会を重ねる毎に人気は沸騰して、観客が入り切らない状況になり甲子園球場の建設へとつながっていく。甲子園に舞台を移すまでの第三回大会(第四回大会は米騒動のため中止)から第九回大会まで、ここ鳴尾球場で熱戦が繰り広げられた。
 島根県立大社高校の前身である杵築中学は、鳴尾球場での第三回大会と第七回大会の2回出場している。特に第三回大会はベスト4まで進出している。この大会は今では珍しい敗者復活制度があり、敗者復活で勝ち上がってきた愛知一中に準決勝戦で惜しくも敗退している。
 ここ鳴尾球場跡地に記念碑が建設されていて、記念碑に杵築中学の校名が刻まれている。我が母校島根県立大社高校は、大阪豊中球場の第1回大会から昨年の第98回大会まで連続出場している数少ない学校のひとつである。
 今後の野球部の活躍を期待したい。そして、甲子園の晴れ舞台で、校歌・応援歌を熱唱したい。
 (鳴尾球場跡地は、甲子園球場から南に約1km下った大阪湾に面した鳴尾浜にあります。)




 

Kinki Inasakai