歴代大社高校野球部写真


昭和46年
昭和46年の野球部員写真
(後列左から) 松原、大輝、平代
(前列左から) 黒田監督、桑本、園山、秦部長
部 長 秦 明正        監 督 黒田邦宏       主 将 園山隆義
投 手 松原晶久(3年)    捕 手 桑本庸司(3年)   一塁手 大輝雄二(3年)
二塁手 平代一夫(3年)    三塁手 春日 卓(2年)   遊撃手 多久和明夫(2年)
左翼手 園山隆義(3年)    中堅手 福間博明(2年)   右翼手 須谷敏夫(2年)
    片寄幹夫(2年)        大輝 久(2年)       吾郷克己(2年)
    飯塚肇一(1年)        藤原伸夫(1年)       狩野幹夫(1年)
      マネージャー 小山友子(1年)
 夏の島根県大会 浜田との一回戦
 大社は、浜田の小島、梅川両投手の好投により、戦前から予想されたような苦戦をした。浜田は五回、広瀬、有田の下位打者に連続安打が生まれ、次打者四球で満塁としたが、大社投手大輝久の好投で無得点に終わった。大社は前半苦戦しながらも得点をあたえず互角の試合をしていたが、六回、浜田の梅川に中前打された後二盗され、次打者梨田に中前打され1点を失った。大社は、四球、安打などで走者を出したが、得点できずに後半戦に入っていった。
 九回表、浜田の打者広瀬に左翼越えに本塁打されて2点目を失った。九回裏の大社の反撃も、リリーフした浜田の梅川投手の前に得点できず。2対0で惜敗し、今年の夏の大会を終わった。

浜田 000 001 001 = 2
大社 000 000 000 = 0

 今年のチームは、昨年秋の県大会、春は地区予選、夏は県大会まで出場した。とびぬけた選手はいなく、3年生4人2年生7人1年生のベンチ入り4人を含む9人で、すべての面でまとまりのあるチームだった。
 なお、浜田高校の梨田主将は、後年プロ野球の近鉄に入団し、強肩の捕手として大活躍した。
 西中国大会は浜田が優勝し、浜田は春夏連続で甲子園へ出場した。甲子園では池田高校と対戦して惜しくも敗れた。


昭和47年
昭和47年の野球部員写真
(後列左から) 比下、永見、須谷、吾郷、大輝、山崎、片寄、岡本、上田
(前列左から) 安部部長、米原(藤原)、春日、飯塚、福間、多久和、黒田監督
部 長 安部正司        監 督 黒田邦宏        主 将 春日 卓
投 手 大輝 久(3年)    捕 手 須谷敏雄(3年)    一塁手 上田幸夫(1年)
二塁手 多久和明夫(3年)   三塁手 春日 卓(3年)    遊撃手 片寄幹夫(3年)
左翼手 福間博明(3年)    中堅手 飯塚肇一(2年)    右翼手 比下剛浩(2年)
    吾郷克己(3年)        永見文男(2年)        藤原伸夫(2年)
    山崎貞夫(2年)   岡本重一郎(2年)  野津徳男(1年)  高橋 豊(1年)
 春の第38回中国地区大会
 中国地区大会は島根県で開催されるため、春の県大会でベスト4に入り出場できることになった。雨で順延となり5月15日から熱戦が繰り広げられた。初戦の鳥取工を延長線で下し、二回戦で岡山南を6対3で撃破。決勝戦は、5月16日浜田市営球場で松江商との対戦となった。
 本大会の活躍でプレーに自信の見られる大社が八回裏、飯塚の二塁打で決勝の1点を挙げ追いすがる松江商を振り切って初優勝した。
 一回表松江商が山本守の適時打で先取点をあげたが大社はその裏逆転、四回には制球に苦しむ中村を攻め一死満塁のチャンスに春日がスクイズを決めて1点、さらに左前打を松江商守備陣が譲り合ってエラーする間に2点追加した。しかし、松江商も反撃、六回疲れの見えた大輝を攻め木地谷の適時打、敵失などで同点に追いついた。これに対し大社は八回裏二死後、三塁に福間をおいて飯塚が左中間に二塁打して貴重な1点をあげた。松江商は七回から大輝をリリーフした野津をとらえることができず敗れた。スコアは大社6-5松江商。
 第38回中国地区野球大会で初優勝を飾った選手一行を迎え、学校では祝賀会が開かれ、町民、OBの前で初優勝の報告が行われた。
 夏の県大会
 第54回全国選手権島根県大会は未曽有の集中豪雨に見舞われ大会開催が危ぶまれたものの7月21日から東部地区は松江市営球場で開催され、一回戦の相手は、中国地区大会決勝で戦った松江商であった。
 好ゲームの展開が予想されたが、大社は攻守に精彩を欠き松江商が、七回コールド勝ちした。大社は松江商中林から10四死球を選びながら決定打が出ず完敗した。

松江商 101 021 2 = 7
大 社 000 000 0 = 0


昭和48年
昭和48年の野球部員写真
(後列左から) 安部部長、大西(小山)、秦教諭、山崎、飯塚、狩野、永見、比下、村松教諭
(前列左から) 黒田監督、岡本、福庭、米原(藤原)、加本、山崎教諭
部 長 安部正司        監 督 黒田邦宏        主 将 飯塚肇一
投 手 高橋 豊(2年)    捕 手 藤原伸夫(3年)    一塁手 比下剛浩(3年)
二塁手 岡本重一郎(3年)   三塁手 永見文男(3年)    遊撃手 福庭洋二(3年)
左翼手 山﨑貞夫(3年)    中堅手 飯塚肇一(3年)    右翼手 上田幸夫(2年)
    加本 登(2年)        狩野幹夫(2年)        野津徳男(1年)
    曽田康二(1年)        園山謙二(1年)        森山浩毅(1年)
    日野智司(1年)        安食昭男(1年)
 第55回全国高校野球選手権大会島根県大会
 7月21日浜田市営球場で開催され、翌22日一回戦の相手は浜田。春の県大会一回戦でも対戦があり2対4で惜敗していて、その雪辱戦でもあった。
 伝統を誇るチーム同士の対戦で予想通り1点を争う見ごたえのある試合を展開したが、浜田が九回裏の大社の猛反撃を1点に押さえて勝ち残った。浜田は一回裏二死後、3連続安打で1点。二回にも先頭高野の三塁打とスクイズで1点、試合を有利に進め、五回に一度は同点に追いつかれたが、六回に新井の適時打で再びリード。九回には突廻の安打、送りバント、吉屋の適時打で2点差とした。これに対し大社は五回に同点に追いつき九回裏、藤原の安打、2死球などで二死満塁と攻め森山の左前打で1点差。一打逆転と必死に反撃したが及ばなかった。

浜田 110 001 001 = 4
大社 000 110 001 = 3



昭和49年
昭和49の野球部員写真
(後列左から) 黒田監督、野津、今岡教諭
(前列左から) 上田、高橋
部 長 安部正司        監 督 黒田邦宏        主 将 高橋 豊
投 手 曽田康二(2年)    捕 手 高橋 豊(3年)    一塁手 野津徳男(3年)
二塁手 森山浩毅(2年)    三塁手 石橋 貢(2年)    遊撃手 園山謙二(2年)
左翼手 日野智司(2年)    中堅手 上田幸夫(3年)    右翼手 泊 吉実(2年)
    飯塚幸男(1年)        安食昭男(2年)        佐藤信二(2年)
    小村泰三(1年)   小山峰明(1年)   須谷弘行(1年)  北島利雄(1年)
 第56回全国高校野球選手権大会島根県大会
 島根県大会東西地区予選は、7月21日東武は平田市民球場、西武は浜田市設球場で3日間にわtり、熱戦の火ぶたを切った。本大会から金属バットの使用が認められた。
 一回戦で松江北に7対1で快勝し、23日、二回戦で松江商と戦った。今大会屈指の息詰まるような大接戦を制したの松江商だった。1点差で九回裏を迎えた松江商は、一死後西山の右前打、小笹の三遊間内野安打で一、三塁と猛反撃を開始、続く宍道のスリーバントスクイズでタイに持ち込み、飛田の右前打で二塁から小笹が生還劇的な逆転サヨナラ勝ちとした。
 一方大社は三回、3連打で1点を先行。逆転された後の七回には、敵失・適時打などで2点をもぎ取り、再び試合の主導権を握ったが、ついに土壇場で松江商の不屈の根性にうっちゃられた。

大 社 001 000 200 = 3
松江商 000 020 002× = 4

 県大会浜田、大田が勝ち残り西中国大会への出場権を得た。県大会、および最後の西中国大会は新装なった県立早山球場で開催された。


昭和50年
昭和50年の野球部員写真
(後列左から) 今岡教諭、曽田、泊、日野、石橋、園山
(前列左から) 佐藤、森山、安食、黒田部長
部 長 黒田邦宏        監 督 高畑忠善        主 将 園山謙二
投 手 飯塚幸男(2年)    捕 手 石橋 貢(3年)    一塁手 泊 吉実(3年)
二塁手 森山宏毅(3年)    三塁手 須谷弘行(2年)    遊撃手 園山謙二(3年)
左翼手 日野智司(3年)    中堅手 佐藤信二(3年)    右翼手 安食昭男(3年)
    曽田康二(3年)        小村泰三(2年)        杉谷 浩(2年)
    小山峰明(2年)        北島利雄(2年)        山本幹彦(2年)
    福間 章(2年)    記 録 堀西尚志
 山陰大会決勝(対江の川高校)
 江の川は初回一死後、樋口が四球で出塁。前田が左中間を破る三塁打を放ち、1点先取。曽田にかわった飯塚から崎山が四球を選び一、三塁としたあと、中川がスクイズを決めて加点した。さらに二回、2安打、1四球などで2点を加えた。大社は立ち上がり、ナインに堅さが目立った。二回に奪われた2点が大きく、重苦しい雰囲気になる。三回、杉谷、森山の連打、石橋の遊ゴロが敵失を誘い、1点を返したが、以降、速球、カーブを丹念に投げ分ける崎山を打ち崩せなかった。

江の川 220 000 001 = 5
大 社 001 000 000 = 1

 球場点描
泊 吉実

 学校から球場まで近かったせいもあって、ナインは規定時間ぎりぎりに、あわただしく球場入りした。快晴。外野席の芝と浜山の木々の緑が、目に鮮やかだった。8千人のファンがスタンドを埋めていたのに、球場は不思議に静かだった。チーム内に、いつものムードが出来上がらないまま、いつの間にかシートノックが終わっていた。最後になって「12年ぶりの甲子園」をナインが強く意識し始めていたのかも知れない。
 試合後、新聞社に答えた高畑監督談。「別にあがってはいなかった。しあし、初回の2点が最後まで効いた。完敗です。崎山君はすばらしい投手。甲子園でも力を発揮すれば、かなりいけると思う」
 園山主将談。「やはり、あがってしまった。崎山君のボールは手元で伸びていた。僕らの分まで頑張って欲しい」


昭和51年
昭和51年の野球部員写真
(後列左から) 田中教諭、堀西、間島(福間)、須田(飯塚)、別所、須谷
(前列左から) 黒田部長、山本、小村、小山、北島
部 長 黒田邦宏        監 督 川上滝郎        主 将 須谷弘行
投 手 飯塚幸男(3年)    捕 手 井原 稔(2年)    一塁手 小村泰三(3年)
二塁手 石飛正人(2年)    三塁手 須谷弘行(3年)    遊撃手 福間 章(3年)
左翼手 山本幹彦(3年)    中堅手 小山峰明(3年)    右翼手 北島利雄(3年)
    別所文雄(3年)        杉谷 浩(3年)        松井郁男(2年)
    中島信彦(2年)        日野優次(2年)        勝部忠信(2年)
    佐野武志(2年)  マネージャー山本雅信(1年)  マネージャー堀西尚志(3年)
 昭和50年島根県秋季大会(新人チーム)
 東部地区予選で 平田、出雲工を順当に撃破、県大会では浜田、松江工に勝利して10月13日出雲との決勝戦に臨んだ。
 初回、大社はいきんり山本の三塁打で3点を先取したが、三回に同点に追いつかれ白熱した決勝戦になった。五回、一死、一、二塁から3番須谷が左中間に三塁打を放ち2点。八回には、小村、石飛の短長打でダメ押しの2点を取り試合を決めた。連投にもかかわらず、エース飯塚は、四回以降打たれながらも点を与えず力投した。

出 雲 012 000 001 = 3
大 社 300 020 02× = 7

 中国大会 準決勝対崇徳戦
 11月1日から3日間、県立浜山球場で中国5県各2校の計10校が参加する中国大会は大社須谷主将の選手宣誓により開幕した。 二回戦から登場した大社は、岡山代表の作陽を1対0で破り、準決勝を広島代表の崇徳と争うこととなった。
 初回、2安打と四球の無死満塁に、四番飯塚が前進守備の二塁手の横を抜く2点タイムリーを放ち、幸先のよいスタートを切り、その裏のピンチもダブルプレーで切り抜けるなど、大社ペースの試合展開になるかと思われたが、二回、急にエース飯塚に腰痛が再発しコントロールが乱れ5四死球と小川、永田の連続三塁打を浴び6点を許しあっさり逆転された。三回には飯塚から代わった松井が、一番山崎以下5連続安打で5点を追加され、崇徳の強打を見せつけられた。頼みの飯塚打たれ気落ちしたのか、一回以降散発5安打に抑えられ完敗した。しかし、五回以降崇徳打線を無得点に抑えた1年生の松井投手も見逃せない。

大 社 200 000 000 = 2
崇 徳 056 100 00× = 12

 尚、決勝は崇徳黒田と岡山東原のの両投手の1点を争う投手戦となったが、七回崇徳が4安打と敵失で3点を取り、3対0で秋の大会初の制覇をなした。
 大社高校は、崇徳との準決勝で大敗したが、中国大会ベスト4入りが評価され、翌51年2月1日、春の選抜高校野球大会 出場 という吉報が大社高校に届いた。

 夏の大会 東部地区予選
 島根県大会東部予選が7月21日から県立浜山球場で始まった。大社は春夏連覇という期待の中、一回戦を22日松江工と戦った。初回2点先取されたが、すかさず二回、石飛の二塁打で同点にした。しかし、五回裏、エース飯塚の乱調で一死満塁に詰め寄られ、頼みの飯塚がKOされ、代わった松井も、二死後押出しの四球、尚も次打者に2点タイムリーを浴び、3点を取られた。その後立ち直ったものの、打線が左下手投げの上田に抑えられ完敗した。大社は初回、無死二、三塁にクリーンアップが振り回し凡退した。これが、この試合を象徴していた。

大 社 020 000 000 = 2
松江工 200 030 00× = 5

 センバツ以後、戦績は13勝3敗2分とはしていたものの、投打のバランスが崩れ、個人の力によるものが多く、チームワークで勝つ本来の姿が消えた。春から夏の大会前の合宿入りするまでに、岡山、山口、鳥取と遠征したものの、招待試合という形が、選手にとって、おごり、過信になったことはいなめない。また、レギュラーと補欠の力の差が大きかったため、層の浅さもみられた。
一年のうち、どこにピークを持って行くか監督としての考えどころであろう。もちろん夏に最高の状態にしたいのは当たり前だが、このチームは秋に一度ピークがあり、センバツ出場のため春先にもう一度ピークを迎え、そして、夏の大会にピークをつくり出すというほとんど一年中ピークでなくてはならなかった。しかし、センバツ以後目立った活躍はなかった。春・夏連続甲子園出場の難しさが、浮き彫りになった。


昭和52年
昭和52年の野球部員写真>
(後列左から) 石飛、狩野、日野、勝部、中島、永海、芝、川上、原教諭、宮本教諭
(前列左から) 松井、伊藤、川上監督、井原、佐野、黒田部長
部 長 黒田邦宏        監 督 川上滝郎        主 将 石飛正人
投 手 松井郁男(3年)    捕 手 井原 稔(3年)    一塁手 伊藤 誠(3年)
二塁手 石飛正人(3年)    三塁手 勝部忠信(3年)    遊撃手 中島信彦(3年)
左翼手 日野優次(3年)    中堅手 唐島一将(2年)    右翼手 芝 修 (2年)
    佐野武志(3年)        狩野裕信(3年)        永海 精(3年)
    山根誠司(2年)  マネージャー川上英次(3年)
 第59回全国高校野球選手権大会島根大会・東部予選
 大社は、一回戦で大東を9対5で破った出雲西と対戦することとなった。大社の松井投手と出雲西の打線が見どころであった。大社は初回、四球で出塁した石飛を一塁において、芝が右中間を破る三塁打で先取点を挙げた。ここで波に乗るかと思われたが、前半のややとばし気味だった松井投手に疲れが見え、制球難に加えて球威も衰え、出雲西の打線につけ込まれた。六回二死球、敵失も含め3点を許してしまった。ここまで、8安打を放ちながら2点と拙攻が目立ち、緒戦を突破出来ず夏が終わった。

大 社 100 000 001 = 2
出雲西 000 003 00× = 3

 県大会は浜田と出雲商が残り、山陰大会出場を決めた。山陰大会は浜田と鳥取境との間で決勝戦が行われ、浜田が勝利し2年連続4回目、最後の ”山陰代表” として甲子園へ出場した。


昭和53年
昭和53年の野球部員写真
(後列左から) 柳楽、山根、高橋、矢田
(中列左から) 山本雅、影山、寺本、唐島、竹部、山本真
(前列左から) 原教諭、田中教諭、黒田部長、宮本教諭、安部教諭
部 長 黒田邦宏        監 督 川上滝郎        主 将 唐島一将
投 手 金築和也(2年)    捕 手 山本雅信(3年)    一塁手 秦 繁男(2年)
二塁手 山本真実(3年)    三塁手 須谷智之(2年)    遊撃手 小川芳正(2年)
左翼手 矢田裕治(3年)    中堅手 唐島一将(3年)    右翼手 柳楽幸雄(3年)
    影山雅充(3年)        高橋仁司(3年)        竹部充知(3年)
    寺本淳一(3年)        山根誠司(3年)        金築幸男(2年)
    板垣光明(2年)        山崎康弘(2年)        児玉安信(2年)
    記録 今村慶一(1年) マネージャー陰山圭子(3年) マネージャー陰山真理(3年)
 第60回全国高校野球選手権大会島根大会
 第60回記念大会島根大会は、7月21日から県立浜山球場で始まった。本年の記念大会から、甲子園出場が各県1校となることもあり、大社の気合もより身近な甲子園に向けて充実していった。
 21日、一回戦のあいては三刀屋高校。3時間15分に及ぶ熱戦となり、延長12回、三刀屋が粘りを見せ劇的な逆転勝ちをした。
 12回表に大社が1点リードすたが、緊張したのは大社の鎌田投手だった。その裏好調の三刀屋打線は菅沢の二塁打などで一死満塁と攻め込む。ここで六番藤原克が投手前に絶妙なスクイズを決めて同点。さらに、案田が三遊間を抜き菅沢が決勝のホームを駆け抜けた。三刀屋は大社の3投手に13安打と打ち込みながら11残塁の拙攻で苦しみ抜いての勝利。
 一方の大社は、伝統校らしい巧い攻めで四、八、十二回に8安打を集中、一時は勝負を決めたかに見えたが、投手に決め手を欠いたのが痛かった。

大 社 000 100 030 001 = 5
三刀屋 000 022 000 00 2× = 6

 勢いづいた三刀屋は、一ごとに上げ潮ムードに乗り決勝戦に進出。松江商に延長11回一死満塁からまたしても藤原克がスクイズを決めて初の甲子園切符を手にした。甲子園では旭川竜谷に2対10で破れ初戦を飾ることは出来なかった。


昭和54年
昭和54年の野球部員写真
(後列左から) 板垣、金築幸、今村、藤川、児玉、石飛
(中列左から) 今岡教諭、山崎、竹下、永海、影山、黒田部長
(前列左から) 原教諭、川上監督、秦、小川、須谷、金築和
部 長 黒田邦宏        監 督 川上滝郎        主 将 秦 繁男
投 手 田和弘章(2年)    捕 手 大国嘉昭(2年)    一塁手 板垣光明(3年)
二塁手 藤川典久(3年)    三塁手 山﨑康弘(3年)    遊撃手 金築幸男(3年)
左翼手 秦 繁男(3年)    中堅手 永海健二(3年)    右翼手 金築和也(3年)
    須谷知之(3年)        小川芳正(3年)        今村慶一(3年)
    竹下穣司(3年)        石飛文博(3年)        児玉安信(3年)
    安食哲哉(3年)        鎌田一哉(3年)        赤木信男(3年)
 記録 吉井 誠(3年)  マネージャー山本英二(3年)
 第61回全国高校野球選手権大会島根大会
 第61回全国高校野球選手権大会島根大会は、7月27日~29日浜山球場にて開催され東西地区予選を勝ち抜いた8校が出場した。一回戦、江の川を5対3で破り準決勝は浜田と28日対戦することとなった。
 古豪同士の対決は、中盤に3点を先取して主導権を握った浜田が、大社の追撃を牛尾の力投で振り切った。
 浜田は序盤、大社田和の緩急織り交ぜた投球に凡打を繰り返していたが、4回二死一、二塁の好機をつかんだ。ここで牛尾が三塁強襲安打。ボールが左翼線を転がる間に二走芦谷が還り先取点。これが大社内野手守備を動揺させ、続く野田の二塁ゴロを藤川がそらし、さらに一塁へ悪送球する間に、三走矢富に続いて二走牛尾もホームを踏み、計3点を挙げた。1点差に迫られた7回には牛尾が本塁打で大社を突き放すなど、浜田らしいソツのない攻めを見せた。
 大社は、伸びのある直球でスローカーブを生かす浜田のエース牛尾を打ちあぐねた。1点差に詰め寄ったが、8回、9回は勢いに乗った牛尾に完全に抑えられ、あと一歩のところで及ばなかった。

大 社 000 000 200 = 2
浜 田 000 300 11 × = 5

 決勝戦は、浜田と出雲商で争われ、浜田が大差をつけて勝ち、2年ぶり5度目の甲子園出場を決めた。


昭和55年
昭和55年の野球部員写真
(後列左から) 大国、長廻、北井教諭、曽田教諭、原教諭、栂、久野、今岡教諭、飯塚教諭、山本
(前列左から) 田和、高橋、三加茂、高田、安食、鎌田、渡部、吉井
部 長 今岡 実        監 督 川上滝郎        主 将 𠮷井 誠
投 手 田和弘章(3年)    捕 手 大国嘉昭(3年)    一塁手 高橋幸久(3年)
二塁手 𠮷井 誠(3年)    三塁手 鎌田一哉(3年)    遊撃手 山本素也(2年)
左翼手 三加茂勉(2年)    中堅手 山本 学(3年)    右翼手 安食哲哉(3年)
    高田正次(3年)        長廻智之(3年)        渡部輝之(3年)
    赤木信男(3年)        小島一文(3年)        佐藤章寿(3年)
    宇京史郎(3年)    記録員 高木武治(3年)
    マネージャー栂 美子(3年)   マネージャー久野悦子(3年)
 第62回全国高校野球選手権大会島根大会
 62回大会は浜山球場と改装されバックネット裏に屋根が付いた大田市民球場で7月21日より開催された。一回戦で大東に9対1と7回コールド勝ちした大社は、23日松江商と大田市民球場で二回戦を戦うことになった。
 松江商が3回に集中打で3点を挙げれば、大社は山本学の本塁打で追撃、再び突き放そうとする松江商に大社も必死に食い下がる。松江商が打線の活躍と若林の力投で大社を破ったが、伝統校同士の一戦にふさわしい内容だった。

松江商 003 010 001 = 5
大 社 002 000 000 = 2

 松江商は1、2回に絶好の先制機をつぶしたが、3回表一死後、岡崎の安打、義田の右中間二塁打で3度目の先制機。ここで岡が相手守りを衝くスリーバントスクイズを決め先取点。なおも若林四球のあと山崎が三塁イレギュラー安打、吉井が投手のグラブをはじく安打でこの回3点。1点差になった5回には岡が左翼席に本塁打して2点差に広げた。9回には森井の適時打でダメ押しの1点を挙げた。
 大社も惜しかった。3点をリードされた3回には、山本学が左越え2点本塁打を放ち1点差と迫った。7回にも一死1、3塁の反撃機があったが、力投の若林を攻略することが出来なかった。大社としてはここで1点をとれなかったのが響いた。
 春季中国大会で優勝した三刀屋は降雨コールド負けで姿を消し、センバツ出場校の松江商も姿を消した。代表校は夏に照準を合わせていた浜田であった。



Kinki Inasakai