歴代大社高校野球部写真


昭和56年
昭和56年の野球部員写真
(後列左から) 山本、北井教諭、安田教諭、原部長、今岡監督、飯塚教諭
(中列左から) 山根、宇京、高橋、小島、渡部
(前列左から) 瀬崎、佐藤、糸賀、赤木、高木
部 長 原 和夫        監 督 今岡 実       主 将 山本素也
投 手 赤木信男(3年)    捕 手 須藤由樹(1年)   一塁手 渡部裕司(3年)
二塁手 小島一文(3年)    三塁手 石飛昌彦(1年)   遊撃手 山本素也(3年)
左翼手 今岡 茂(2年)    中堅手 高木武治(3年)   右翼手 祝部一郎(2年)
    佐藤章寿(2年)        糸賀友宣(3年)       山根高志(3年)
    瀬崎弘之(3年)        高橋 悟(3年)       宇京史郎(3年)
    新田裕幸(2年)        庄司 隆(2年)   記録員 原田正俊(2年)
 県大会夏準決勝(対浜田高校)
 東西を代表する伝統校同士の対決とあって好試合が期待された。しかし浜田が大社の失策につけ込み、たたみかけるなどはつらつとしたプレーえおするのに対し、大社はこれまでのような元気が全く見られず、七回コールドという一方的な結果に終わった。

大社 000 000 0 = 0
浜田 100 040 2 = 7

 初回、浜田の先頭の清水が赤木の初球を思い切りたたくと中堅手の頭上を越える大三塁打、早々とつかんだこの好機、船木が強攻して三振に倒れたが、松田がスクイズで先制、五回にも3長短打と敵失で4点。大社をあっけなく突き放した。大社はこれまで、安定した投球をしていた赤木が打たれたうえ、無失策で勝ち進んできた内野陣が4失策。さらにわずか2安打に押えられ、3塁が踏めず完敗した。
 あこがれの甲子園出場をかけた第63回全国高校野球島根県大会は結局、浜田が邇摩を4対1で下し、3年連続7回目の甲子園出場を果たして、10日間にわたる熱い戦いの幕を閉じた。浜田は甲子園でも浜田らしい追いつ追われつのシーソーゲームを展開したが、一回戦、福島商に延長の末力尽きた。
 夏の大会前から「夏は浜田だ。浜田を倒さなければ甲子園には行けない」と” 打倒浜田 ”を合言葉に練習を重ねてきた。守りが堅く、機動力のある攻撃をする広島商の野球を手本に練習してきた。事実、2回戦、準々決勝では失策ゼロ、5盗塁とその言葉を裏付けている。準決勝こそ大社にとっては、目的を果たす絶好のチャンスであった。しかし、「浜田を倒そう」という気持ちが、かえって気負いとなり、肩に力が入り、4失策という不本意な結果が出てしまった。


昭和57年
昭和57年の野球部員写真
(後列左から) 曽田教諭、北井教諭、飯塚教諭、原部長、安食コーチ、今岡
(中列左から) 原田、庄司、祝部、天野
(前列左から) 山﨑、細田、石川、小村、新田、今岡監督
部 長 原 和夫   監 督 今岡 実  コーチ 安食昭男   主 将 石川義則(3年)
投 手 森井博一(2年)    捕 手 須藤由樹(2年)    一塁手 庄司 隆(3年)
二塁手 新田裕幸(3年)    三塁手 石飛昌彦(2年)    遊撃手 坂本秀樹(1年)
左翼手 今岡 茂(3年)    中堅手 祝部一郎(3年)    右翼手 細田素行(3年)
    原田正俊(3年)        天野克美(3年)        曽田陽一(3年)
    小村俊彦(3年)  山崎要一郎(3年)  槇野安浩(2年)   祝部祐二(1年)
 第59回秋季中国地区大会
 中国5県から各県優勝・準優勝校の10校が出場し中国一の座をかけて10月13日から16日まで広島市民球場で熱戦を繰り広げた。
 同じ県のチーム同士が決勝戦までぶつからないようA、Bゾーンに分けられた。その結果はクジのいたずらか、岡山南、宇部商、米子東、大社、広陵の各県優勝校がそろってBゾーンに集まった。
 14日、大社は岡山県優勝校の岡山南に7-0で快勝、16日の宇部商との対戦に臨んだ。大社打線は数少ない好機にできる限りの積極策で相手を揺さぶったが切れのいいカーブを武器にする秋村から決定打が奪えなかった。
 2点を追う大社は六回表、一死から佐藤が中前にチーム初安打。続く坂本は大きく落ちるカーブを打たされ、二ゴロに倒れ併殺かと思われたが、エンドランに救われ佐藤は二塁に生きた。更に三盗を試み勝負をかけたが好送球にあい憤死。八回にも一死後、青木の左中間二塁打で反撃機をつかんだが、後続を断たれた。なおも九回表、一死から四球を選んだ坂本が二盗を試みて最後まで食いさがったものの、強肩中富に刺され自慢の機動力を生かし切れなかった。
 宇部商秋村は心にくいまでの冴えた投球術。絶妙なコースに球威のあるカーブを決め、大社打線は完全にタイミングを外された。低めのカーブを捨てて直球に的を絞ったが、急速に押され散発2安打。反撃の決め手を欠き、カーブ攻略に課題を残した。
 一方、森井もバックに盛り立てられながら五、六回以外は毎回三者凡退に仕留めた。それだけに五回の制球難が悔やまれる。連続単打などで無死満塁とされ、動揺したのか力みが見られ四球押し出しで2点を献上、主導権を奪われる結果となった。

大 社 000 000 000 = 0
宇部商 000 021 00 × = 3

 島根県大会3度目の優勝の後、中国大会で岡山南に大勝し準決勝でも宇部商と好試合を展開、敗れはしたものの 第55回選抜高校野球大会 へ大きな望みをつないで本年の公式戦を終了した。来春の選抜大会は例年より出場校が2校多く、中国地区からの出場が4校になると見込まれていること、倉敷工が大差で敗れたことなどから大社の出場は有望とみられている。


昭和58年
昭和58年の野球部員写真
(後列左から) 佐野、佐藤幸、福間、岩成、長岡、佐藤啓、佐藤澄、原部長
(中列左から) 奥井、山本、勝部、長谷川、森井
(前列左から) 今岡監督、北井教諭、槙野、石飛、須藤、飯塚教諭、山崎
部 長 原 和夫  監 督 今岡 実     主 将 石飛昌彦
投 手 森井博一(3年)    捕 手 須藤由樹(3年)    一塁手 槇野安浩(3年)
二塁手 石飛昌彦(3年)    三塁手 長岡和宏(3年)    遊撃手 坂本秀樹(2年)
左翼手 春木正浩(2年)    中堅手 勝部裕幸(3年)    右翼手 佐藤幸治(3年)
    山本竹男(3年)        岩成恭司(3年)       長谷川延正(3年)
    祝部祐二(2年)        春日正満(2年)        前田 貴(1年)
    岡本春生(1年)        大田竜馬(3年)        佐野靖宏(3年)
    福間英文(3年)    記 録 奥井雅彦(3年)
     マネージャー 佐藤澄子(3年)     マネージャー 山崎節子(3年)
 夏の大会決勝戦(対大田高校)
 九回二死一塁、点差は2点、大田山下は渾身の力をふりしぼって、ストレートを投げ込んだ。好打者坂本の打球はフラフラッとセンターへ、持田ががっちりとつかみ試合終了。大田24年ぶり3回目の甲子園。今岡監督はうつむいたまま、大社の春夏連続出場の夢は消えた。

大 社 000 000 300 = 3
大 田 000 040 10 × = 5

 大田の打線は素晴らしかった。初回から大社森井に食いつき、こつこつと当てていった。5回裏、一死から大石が左前打。長嶋四球のあと、福島が一、二塁間を破って満塁。この好機に、当たり屋津賀が森井の6球目、外角ストレートを思い切りたたいた。打球は快音を残して右中間を真っ二つ、右翼フェンスに転々とする間に3走者が帰って3点を先取した。続く山下も中前にはじき返して、この回4点をあげた。  大社は伸びのあるストレートとカーブを低めに集める山下を打ちあぐみ、六回まで散発4安打。強打の大社打線は鳴りをひそめていたが7回表思わぬアクシデントが起こった。
 森井が四球で歩き、一死後、勝部の打球は二塁後方にポトリと落ちる中前打。その打球を追った大石と中堅手持田が激突。大石は左足ふくらはぎと頭を強く打って担架で医務室に運ばれ、手当ての間18分間試合が中断した。再開後、岡本の左前打で1点を返し、暴投でなおも一死二、三塁。槙野は遊飛に倒れ、坂本游ゴロ、負傷の大石が前進してすくいあげ一塁へ送球したが、それてしまい。勝部、岡本とが相次いでホームイン。1点差と追い上げ重苦しかった大社ベンチが活気づいた。
 しかしその裏森井に代わって力投する岡本が1球に泣いた。先頭の長嶋右中間二塁打。福島が送り、一死三塁で津賀の投前スクイズバントで三走長嶋が本塁でタッチアウト。ホッとする大社バッテリー。ところが続く山下が左越えに二塁打。貴重な1点を加えた。
 大社ナインは序盤から動きが悪かった。初回、先頭の坂本が山下の初球をいきなり三塁線に快打。前田が送りバント失敗の末、三振に倒れ、打者石飛の時、坂本が二盗に失敗。その後石飛が二ゴロ失で出塁したが、4番須藤が左飛に倒れ絶好の先制機を逃がした。この逸機が最後まで響いて、大社は春夏連続出場の夢が絶たれた。


 
昭和59年
昭和59の野球部員写真
(後列左から) 奈良井教諭、原部長、坂本、布野、長岡、春木、安田、森脇コーチ、開出、広戸、𠮷川、柳原、長岡教諭、今岡監督
(前列左から) 北井教諭、小田川、林、田中、大谷、石川、青山、春日、祝部、馬庭、佐藤
部 長 原 和夫  監 督 今岡 実   コーチ 森脇修司   主 将 坂本秀樹
投 手 祝部祐二(3年)    捕 手 坂本秀樹(3年)    一塁手 板垣悟史(2年)
二塁手 小田川浩之(3年)   三塁手 前田 貴(2年)    遊撃手 上野 康(2年)
左翼手 春日正満(3年)    中堅手 春木正浩(3年)    右翼手 大谷昌幸(3年)
    開出 牧(3年)        岡本春生(2年)       広戸剣一郎(3年)
    安田浩二(3年)        青山博俊(3年)        佐藤高久(3年)
    長国知広(3年)        布野秀忠(3年)        馬庭 昇(3年)
    石川修司(3年)    右翼手 田中 護(3年)        上野 渉(2年)
    安藤 亨(1年)    記 録 林 清司(3年)
        マネージャー 柳原 都(3年)   マネージャー吉川紀子(3年)
 社高野球部での3年間
坂本 秀樹
益田東 003 300 200 = 8
大 社 010 100 201 = 4

 準決勝第一試合、九回裏二死三塁。得点差4点。この日5度目の打席が巡って来た、「まだ逆転できる。」そう思いながら打席に立った。初球、真ん中の甘いストレート渾身の力を込めてバットを振った、手応え十分。しかし打球は無常にも横飛びした三塁手のグラブの中に、ゲームセット。3年間の高校野球が終わった。最後の整列を終え、ベンチの前で益田東高校の校歌を聞いた。涙が込み上げてくる。頭の中に3年間の想い出が甦ってきた。
 思い出すと1年生の頃は練習について行くだけで精一杯、練習を終え家へ帰るとすぐに眠ってしまうことも度々あった。しかし、一日一日の厳しい練習を乗り越えることによって野球の楽しさ、自身のようなものが沸き上がってきた。
 そして2年生の春、目標であった甲子園へ出場することが出来た。小さい頃から夢見た甲子園、グランドの大きさ、独特の雰囲気、今でも脳裏に浮かんでくる。1回戦の峡南高校、2回戦の東北高校に勝ちベスト8、校歌を思い切って唄った。そして準々決勝、前年優勝の池田高校と戦ったがパワーの違いを見せつけられ大敗、自分たちもウェートトレーニングはしていたものの力のなさを痛感した。何とかしてパワーを身につけもう一度、甲子園へ出ることを心に誓った。
 しかし、2年の夏、秋とあと一歩のところまでいきながら甲子園へ出場することは出来ず、残るチャンスは3年の夏の大会一度だけとなり練習も一段と厳しさを増した。そして最後の大会がやってきた。1回戦、2回戦、準々決勝と皆で力を合わせ勝ち上がって行った。迎えた準決勝、部員全員今までやってきたことを全てを出し精一杯戦ったが敗けてしまった。「甲子園」も今となっては二度と行けなくなってしまった。思えば高校生活3年間のほとんどが野球生活であった。野球生活の中から学んだ、礼儀、逆境にも負けない精神力などこれからの生活の中で大いに役立つと思う。そして、自分たちが経験し学んだことを後輩たちに伝え、より一層強い社高野球部を築いてくれることを期待する。
 最後に3年間、指導して下さった今岡監督はじめ部長、コーチ、先生方、OBの皆さん。応援して下さった町民の皆さん、生徒の皆さん、迷惑をかけた家族に心から感謝したい。


昭和60年
昭和60年の野球部員写真
(後列左から) 大野、岡本、山根、今岡監督、唐島コーチ、奈良井教諭、(上ー板垣)
(中列左から) 長岡教諭、永見陽、飯塚、永見佳、船木、江角久、上野渉、川上、安食、横木、江角美、柿田、朝日山
(前列左から) 北井部長、中山、前田、安原、高見、上野康、高野、神門、岩谷、岡田、日野
部 長 北井睦郎   監 督 今岡 実  コーチ 唐島一将   主 将 板垣悟史
投 手 安藤 亨(2年)    捕 手 前田 貴(3年)    一塁手 板垣悟史(3年)
二塁手 上野 渉(3年)    三塁手 中山道夫(2年)    遊撃手 上野 康(3年)
左翼手 江角久樹(3年)    中堅手 山根 博(3年)    右翼手 神門治雄(3年)
    岡本春生(3年)        高見和幸(3年)        船木智雄(3年)
    高野裕明(3年)        安食彰人(3年)        大野芳弘(3年)
    横木和彦(3年)        布野秀忠(3年)        馬庭 昇(3年)
    石川修司(3年)        岡田浩史(3年)        日野広伸(3年)
    安原昇二(3年)        川上 徹(3年)        三原信孝(2年)
    松田天史(1年)    記 録 岩谷敏之(3年)
    マネージャー 柿田直美(3年)    江角美幸(3年)     永見佳子(3年)
           永見陽子(3年)    飯塚晴子(3年)    朝日山朋子(3年)
 人生の糧としての甲子園  
主将 板垣悟史
旭川竜谷 200 000 000 1 = 3
大  社 002 000 000 0 = 2

 一発のホームランで 甲子園 の切符を手に入れた大社は、一発のホームランで甲子園から去ることになった。勝機は何度もあった。しかし、あと一歩のヒットが打てなかった。安藤は二回以降すばらしいピッチングをした。打線が何とかそれに応えねばならなかった。敗因は色々あると思うが、社高ナインに一番欠けていたのは、勝利への意欲ではなかっただろうか。島根大会で見せたあの気迫がなかったのではなかろうか。甲子園に出場しただけで満足してしまったのではないだろうか。今岡監督は甲子園へ行く前から選手に口うるさく「勝つこと」を言っていたが、選手にその気持ちが伝わらなかった。あの島根大会一回戦浜田との試合で見せた気迫が、この試合に出ていたら勝っていただろう。
 だが、試合内容はたいへん素晴らしいものであった。高校生らしいきびきびとした、さわやかなプレーは観客を魅了した。相手校の校歌を聞いた後、グランドを出る時、バックネット裏の観客から惜しみない拍手がおくられた。その拍手は、勝者よりも敗者の方が大きい気がした。これこそが「甲子園」だと思った。今までに何千人もの甲子園球児がこの拍手にはげまされ、再び甲子園を目指し、また、人生の糧としているに違いない。こうした体験をしただけでも非常に価値あるものであった。後輩たちにも、ぜひこの体験をして欲しい。


昭和61年
昭和61年の野球部員写真
(後列左から) 三原、北井教諭、竹並教諭、長岡教諭、須藤、安藤、山崎、原田、伊藤部長、唐島コーチ、奈良井教諭、今岡監督
(中列左から) 堀江建、熊谷、小林、堀江義、板垣、山本、足立、中島
(前列左から) 槇野、平山、大国、児玉、原、梶谷、高橋、糸賀、細田、美濃、別所教諭
部 長 伊藤崇元   監 督 今岡 実  コーチ 唐島一将   主 将 三原信孝
投 手 安藤 亨(3年)    捕 手 三原信孝(3年)    一塁手 原 賢司(3年)
二塁手 高橋健志(3年)    三塁手 板垣真也(3年)    遊撃手 細田 亘(3年)
左翼手 梶谷孝志(3年)    中堅手 山本佳弘(3年)    右翼手 大国昌浩(3年)
    堀江義隆(3年)        山崎圭一(3年)        児玉憲治(3年)
    熊谷伸之(3年)        安達智也(3年)        小林 等(3年)
    糸賀浩之(3年)        原田正樹(3年)        平山康成(3年)
    美濃禎浩(3年)        須藤 浩(3年)        槇野克則(3年)
    角 雪勝(2年)        石飛良幸(2年)    記 録 中島健治(3年)
 夏の島根県大会
 第68回全国高校野球選手権大会島根大会は、7月20日から9日間松江市営球場、平田市民球場で開催された。大社は前回の優勝校であり、開会式の後進では先頭を務めた。優勝旗返還に際し、今年も我が校に優勝旗を!という機運が高まった。
 20日から宍道湖のほとりにあるホテル宍道湖に投宿して、今大会に臨んだ。試合前の練習は、松江市営球場に近い松江商グランドで行った。
 22日の一回戦は松江市営球場で江津との対戦であった。立ち上がりの一回に3点、二回に4点を先取して追い上げを3点に押え逃げ切った。
 22日、同じく松江市営球場で出雲西との二回戦に臨んだ。出雲西が大社投手陣の乱れをついて着実に加点、快勝した。
 大社は、頼みのエース安藤が不調、球威がなく変化球も制球難。立ち上がりから苦しんだ。出雲西は初回、四球と2長短打で2点を先取すると、五、六回にも安打の走者を得点圏に進めてからの長打攻勢で4点を追加し、安藤をノックアウト。七回にも代わった山崎から四球と2安打に敵失を絡めて3点を奪いダメを押した。
 大社は出雲西と同じ12安打を放ちながらも決定打が出ず、ジリジリと差を広げられた。終盤には焦りも手伝い、八、九回には併殺に倒れ涙をのんだ。

大 社 101 010 000 = 3
出雲西 200 022 30 × = 9



昭和62年
昭和62年の野球部員写真
(後列左から) 長岡教諭、北井教諭、竹並教諭、野村、伊藤部長、唐島監督
(中列左から) 賀元、原田、佐藤、川上、石飛
(前列左から) 野津、柳原、角、河北、坂本、大梶、井上
部 長 伊藤崇元        監 督 唐島一将        主 将 河北典夫
投 手 松田天史(3年)    捕 手 井上美樹(3年)    一塁手 小川正矩(3年)
二塁手 岩成裕治(2年)    三塁手 河北典夫(3年)    遊撃手 石飛良幸(3年)
左翼手 坂本浩司(3年)    中堅手 大梶英俊(3年)    右翼手 川上正人(3年)
    角 雪勝(3年)        安部誠二(2年)        小村 亮(2年)
    野津 誠(3年)        柳原 穀(3年)        石飛光雄(3年)
    賀元修司(3年)        徳山大造(3年)        佐藤幸治(3年)
記 録 原田喜元(3年)   マネージャー 野村裕子(3年)
 夏の島根県大会
 第69回全国高校野球選手権島根大会は7月21日から、浜田市野球場、益田市民球場で開催された。
 22日浜田市野球場で行われた一回戦松江西との対戦は大社優勢が予想されていたが苦戦を強いられた。大社のスコアボードには8回まで0が続いた。七回に1点を先制されあとがない九回表、ようやく大社打線に火が付き一挙6点。終わって見れば6-1の圧勝ではあるが内容はヒヤヒヤものだった。
 二回戦益田商に8-2、三回戦大田に7-3でそれぞれ快勝。一回戦で11安打6点、二回戦で10安打8点、三回戦で11安打7点と攻撃陣は好調を維持した。そして迎えた28日浜田市野球場での江の川との準決勝。
 江の川が二つのスクイズと、松井の2試合連続アーチで挙げた3点を守り切り、投げてはエース大西の要所を締める力投で、強打の大社打線をに終盤はつけ入るすきを与えず、完封で決勝進出を果たした。
 江の川は二回、谷繁が遊撃へのイレギュラー安打で出塁。続く辻のとき、大社松田が暴投。この間に谷繁は好走よく三塁を陥れ、辻も四球を選んで無視一、三塁。この好機に大西が鮮やかにスクイズを決め1点先取。五回には四球で出た山田勝の二盗後、黒田がきっちり送って一死三塁。ここでも坂口豪がスクイズを確実に決めるなどの手堅い攻め。二死となったが続く一番松井がフルカウントからの内角直球をフルスイング。打球はぐんぐん伸びて左翼席に突き刺さり、ダメ押しとも思える3点目を挙げた。エース大西も連投の疲れを見せない力投。8安打は許したものの、ここというときは決め球の落ちるカーブで打ち取った。
 大社は初回一死一、三塁。四回には一死三塁と、同店の好機はあったがいずれも強硬策が裏目、継投のタイミングも一歩遅れ涙を飲んだ。江の川は決勝で川本を破り優勝。甲子園の切符を手に入れた。

大 社 000 000 000 = 0
江の川 010 020 00 × = 3



   
昭和63年
昭和63年の野球部員写真
(後列左から) 三原、北井教諭、竹並教諭、一ノ瀬教諭、伊藤部長、唐島監督、小山コーチ、影山、伊藤
(前列左から) 高畑、山崎、小村、原、岩成、中島、兵庫、安部
部 長 伊藤崇元        監 督 唐島一将        主 将 岩成裕治
投 手 安部誠二(3年)    捕 手 原綾太郎(1年)    一塁手 舟木 誠(2年)
二塁手 石飛弘信(2年)    三塁手 大木直也(2年)    遊撃手 岩成裕治(3年)
左翼手 板垣譲次(2年)    中堅手 梶谷英樹(2年)    右翼手 小村 亮(3年)
    糸原誠二(1年)        伊藤晋也(1年)        中島孝之(3年)
    原 俊一(3年)        高畑賢太郎(3年)       手銭修司(2年)
    山崎 暁(3年)        兵庫秀夫(3年)        伊藤真一(1年)
記 録 野原秀紀(2年)マネージャー 三原千恵子(3年)陰山祥子(3年)伊藤純子(3年)
 第70回全国高校野球選手権大会島根大会 決勝
 7月21日から9日間県立浜山球場と平田市民球場を舞台に開催された。  4度目の校歌を聞いた大社は、3年ぶり8度目の甲子園大会出場を目指して、2年連続3度目の出場を狙う江の川と戦うことになった。江の川はこれまで四番谷繁を中心に8本塁打と各相手投手を打ち込んできている。
 豪打の江の川は一回、二死からの2連打で1点を挙げた。追う大社は四回に四球を足掛かりに1点を返したが、その後江の川は長短打と本塁打を含め16安打で9点を奪い試合を決めた。大社は強打の江の川に必死でくい下がったが善戦むなしく敗れた。

大 社 000 100 000 = 1
江の川 100 200 51 × = 9

 結果を見れば9対1、戦前の予想では3点勝負ということだったがやはり豪打江の川は強かった。
 決勝戦で本塁打を放った江の川谷繁は今大会計7本塁打と打ちまくった。プロ野球も・・・と噂が立った。
 こうして大社の夏は終わった。3年生は部員わずか8人でチームを引っ張ってきたが1、2年生の部員数は3年生の5倍弱であったため一人ひとりの責任の重みは誰もが感じていた。結果的に準優勝という成績が出たのである。春の大会の成績や、練習試合の内容を見たところでは、とうてい勝てるチームではなかったが全員が本当に一生懸命野球をやり、唐島監督を信じて助け合ったたまものだと確信してよいだろう。
 日韓親善高校野球
 9月4日に県立浜山球場で日韓親善高校野球島根大会が開かれたこの大会は、20年前にもソウルの選抜チームを迎えて松江市営球場で開かれたことがあり、逆に島根県選抜チームが韓国に渡ったこともあった。20年ぶりの韓国チーム来日と甲子園で活躍した江の川の選手の人気も重なってスタンドは外野までいっぱいであった。
 この試合韓国チームの先攻で行われ、初回いきなり豪打で6点もとられたが、島根県選抜チームもその裏すぐに2点を返した。そして、中盤から救援に登板した安部が好投し、相手打線を封じた。打線もこれに呼応し、四回に1点、五回に2点と小刻みに反撃し、六回には9対8と1点差まで追い上げた。しかし地力に勝る韓国チームは、八回と九回に1点ずつを加えて11対8で島根選抜をくだした。



Kinki Inasakai