第3回大会 ベスト4

第3回山陰野球大会優勝記念写真
 (後列左から) 朝山吉郎、千家鉄麿、須山淑夫、菊池佳太郎、戸塚章、 円内は横木先生、中谷先生
 (中列左から) 戸山昴造、中村先生、加藤校長、長谷川先生
 (後列左から) 中島竜一、祝部重道、矢田重雄、吉川安隆、伊藤礼造
 豊中球場で産声を挙げた全国中等学校野球大会は、第3回を迎え観客も多くなり手狭になった豊中から西宮市鳴尾球場に舞台を移した。杵築中学は早慶両コーチ、国学院大生の千家剛麿先輩らの指導により実力をUPして予選に望んだ。準決勝で鳥取中を1対0で完封、決勝で松江中を3対2で撃破。初の全国大会出場を果たす。この大会から出場校による入場行進が行わている。
 優勝候補は、前年優勝の慶応普通部、地元の関西学院中、愛知一中といわていた。杵築中の初戦は九州代表の長崎中。初回より得点を重ね、6対3で勝利する。

長崎中 000 000 012 = 3
杵築中 121 100 10× = 6

 杵築の投手児玉はスピ−ドのあるアンダースローとかなり大きなアウトドロップとストレートボールを交ぜて、よく敵の打撃を封じた。と翌日の新聞に載った。被安打6、奪三振11の好投だった。

 2回戦は、優勝候補の愛知一中を破った長野師範との闘いになった。初回3点を先制され苦しい展開となったが、5回に1点返し、9回裏に粘り同点に追いつくと10回裏4番江角の三塁オーバーの2塁打でサヨナラ勝ちでベスト4へとコマを進めた。

長野師範 300 000 0000 = 3
杵 築 中  000 010 0021 = 4

 ベスト4の他の3校は、関西学院中、愛知一中、盛岡中。長野師範に敗れた愛知一中が敗者復活戦で勝ち上がってきている。当時(前年とこの年)は、敗者復活戦を採用していた。準決勝の相手は、その愛知一中となった。杵築中の捕手である4番打者の江角が心臓脚気と診断され欠場するというピンチに立たされた。急遽、中堅手が捕手となったが、初回に1点、6回に2点を取られ9回を迎える。2点を返し、なお2死三塁で一打同点のチャンスであったが、捕手からの牽制球に走者が刺されゲームセットとなった。

杵 築 中  000 000 002 = 2
愛知一中 100 002 00× = 3

 愛知一中は、杵築中を破った勢いで、関西学院との決勝戦に勝ち優勝を飾っている。この大会随一の話題になったのが、杵築中の児玉投手だった。四角い顔の顎に房のように髭をはやし、ゲームがたけなわになると出雲大社に向かって手を合わせ遥拝する。当時の児玉投手は17歳だったが、その髭と出雲大社の神通力のお陰で勝ち進んだかも知れない。いずれにしても、山陰の片田舎からやってきた杵築中の選手が、全国の野球ファンを湧かせたことは、母校の誉れである。西宮市鳴尾球場跡地に記念碑があり、杵築中ベスト4戦績のレリーフに当時が偲ばれる。





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