大正元年 1912 |
6月1日 国鉄大社線開通し、通学が便利となる。 9月13日 明治天皇の大喪にて遥拝式挙行。 9月14日〜15日 明治天皇の大喪により授業休止。 |
||||||||||
大正2年 11913 |
7月21日 「修身」から操行点を独立させて通知表に記入 8月 日 山陰野球大会のあと、県中等学校長会で県外試合を禁止 9月4日 奥田文部大臣来校し、後援す。 11月23日 3年4年生今市山王神社に集合、校長弾劾書を作成、翌24日弾劾書提出。 11月25〜28日 同盟休校。 12月 日 通常県会最終日に本校廃止建議案提出されるも満場一致で否決。 |
||||||||||
大正3年 1914 |
1月8日 「制服時はゲートル不着を許さず」等厳しい「掲示」発表。 3月27日 廣戸 保 第4第校長に就任。 3月31日 中村、並河、大国、川上の4教諭休職を命ぜらる。 5月31日 英語教師ナイト氏(英国)からフットボールの教授を受ける。 5月24〜26日 照憲大后の大喪儀により授業休止。 5月30日 相撲土俵開式を行い、数十番の取り組みを行う。 6月6日 長距離競走を実施。 10月7日 得能末吉松江青年会主催の運動会で2000m優勝。 10月9日 青島陥落祝賀の旗行列を行う。 12月10日 青島陥落記念文庫開設。 |
||||||||||
大正4年 1915 |
4月 日 この年より正式な入学学力検査実施。 音楽部、蹴球部、相撲部創設、この頃図書館も誕生。 5月2日 得能末吉大毎主催オリンック大会5000mで優勝。 5月25日 楠公記念会開催、以後毎年実施。 朝日新聞主催全国中等学校野球大会開催、野球部県内優勝したが対外試合禁止のため、豊中球場で鳥取中学と対戦したが敗れる。 11月10日 昭和天皇即位の礼につき、職員生徒提灯行列、記念として校内に樟及び桐の両樹各100本を栽植。 11月13〜15日 大札記念に生徒製作書画、標本及び機器等の大展示会開催。。 |
||||||||||
大正5年 1916 |
2月1〜2日 県下中学5年生の学力試験実施(英語、国漢、数学)。 徒歩部、水泳部誕生、講談部は講演部と改称。 4月3日 寄宿舎1棟及びその付属建物竣工、この舎を南寮とし、従来の南寮を中寮と改称。 9月 日 多数の寮生が疑似赤痢に感染。 |
||||||||||
大正6年 1917 |
4月1日 4、5年に農業科設置。 6月6日 松江にて、スミス氏の飛行機実演の見物 7月6日 皇太子殿下行啓により駅にて奉迎。 8月 日 野球部第3回全国大会に出場(鳴尾球場)準決勝で愛知一中と対戦2対3で惜敗(ベスト4に入る)。 |
||||||||||
大正7年 1918 |
4月11日 野球部、東京大相撲部団員と試合し勝利。 10月10日 上級学校入学模擬試験実施(3日間)。 10月26日 この頃から、スペイン風邪大流行、27日からの10日間に生徒5人スペイン風邪で死亡、臨時休校20日間。 |
||||||||||
大正8年 1919 |
1月24〜26日 4年生、暴力行為の学校の処置に抗議し同盟休校。 2月3日 流感予防注射開始。 2月14〜15日 第4学年学力試験実施。 3月11日 青島陥落記念文庫を第3教場地歴教室の東隣の室にて開館。 4月17日 澤渡鏡大郎第5代校長に就任。 6月4日 東洋大学学長境野哲講演。 7月1日 平和克服を祝して祝歌(福岡雄一教諭作)を歌い旗行列。 12月6日 今市町初めての地域別父兄会を開催。 |
||||||||||
大正9年 1920 |
1月16日 大町桂月本校で講演。 4月26日 汽車通学生に対し、放課後の補修授業開始。 5月17日 海軍兵学校長鈴木貫太郎中将講演。 7月20〜31日 稲佐浜で水泳訓練。 9月2日 本日より10日間武道夏稽古。 12月 日 同窓会名簿「いなさ」第1号発行。 3月31日 簸川郡立杵築実業学校設立。 5月14日 倉沢初次郎杵築実業学校長就任。 6月25日 杵築実業学校開校式挙行。 |
||||||||||
大正10年 1921 |
3月10日 田中伊藤次第6代校長に就任。 8月14日 野球部全国大会出場(鳴尾球場)、釜山商業と対戦敗退。 7月11日 8面のテニスコート完成し、第一回庭球大会(校内)を開催。 9月19日 野球部後援会発会式を行う。 10月19日 広島高等師範学校教授錦田義富(2期)講演。 大正11年 1922
3月29日 横田泰邦第7第校長に就任。 | 3月23日 暴風のため艇庫倒壊、ボート破損。 4月8日 本日より教室の掃除をなす(大正9年より土曜日掃除あり)。 撃剣部を剣道部、陸上競技部は競技部と改称、蹴球部・徒歩部・相撲部は廃止。 5月6日 山川健次郎講演。 5月19日 平常試験期間中も学期末試験と同様に授業を中止。 7月 日 艇庫復築。 7月18日 京都帝国大学医学部講師錦織末富(11期)講演。 10月30日 学生発布50周年記念式挙行、菰田松枝高等学校教授講演。 大正12年 1923
音楽部廃止。 |
4月27日 日本大学講師佐々穆(5期)講演。 7月2日 一燈園西田天香講演。 11月2日 松江市市内各中等学校合同の発火演習に初参加。 12月8日 日比野寛マラソンに関する講演と、実施指導。 この頃の「七生」には、多くの戯曲が掲載される。 3月31日 杵築実業学校を県立移管し、県立杵築実業学校と改称。 大正13年 1924
2月13日 医学博士戸山昴造(8期)講演。 |
5月5日 久し振りに京阪神方面に修学旅行。 5月12日 講道館長嘉納治五郎講演。 5月25日 創立25周年記念式典挙行、午後7時半より卒業生、在校生徒合同で記念行進歌を歌い提灯行列。 5月26日 山陰陸上400mリレー優勝、第一走者2年生吉岡隆徳。 7月4日 直江父兄会(大津、平田、今市、杵築でも開催)。 7月22日 10日間、在校生、卒業生上級学校死亡者夏期講習会開催。 10月 日 全山陰中等学校対抗陸上競技大会で100m吉岡隆徳優勝、この時の大会応援のため応援部誕生。 大正14年 1925
5月12日 配属将校制度開始(砲兵大尉倉塚亮着任)。 |
9月1日 関東大震災の記念日のため避難訓練。。 9月29日 小倉十蔵第8代校長に就任。 12月23日 5年生、倉塚大尉引率にて軍事見学のため浜田連隊に出発。 3月31日 竹内重顕杵築実業学校校長に就任。 7月20日 杵築実業「会報」を「市場の里」と名称変更。 大正15年 1926
1月19日 初めての軍事教練査閲(第5師団参謀長深見大佐来校)。 |
4月1日 島根県立大社中学校と改称。 12月25日 大正天皇崩御、急遽遥拝式を挙行。 4月1日 島根県立杵築実業学校を島根県立大社実業学校と改称。 |
Kinki Inasakai