大社高校百年史

        

昭和中期(昭和21年〜昭和40年)


昭和21年
1946
1月19日 進駐軍2名、主として兵器調査のため来校。
3月25日 4年修了にて卒業生と5年進級組とに分かれる。
4月2〜4日 旧制中学校最後の入学試験(定員250名、志願者447名)。
     銃器室を教室に改築。
4月19日 図書館の図書の整理開始(連合軍に提出のため)。
6月3日 生徒武道場に集合し、学校への要求事項を提出し同盟休校。
6月5日 卒業生、保護者合同の調停委員の調停により事件解決。
6月6〜10日 農繁期休業に入る。
6月11日 第4、5学年自治会準備委員選挙、自治会案作成。
     通学団や学級も通学自治会、学級自治会等の名称に変更。
6月20日 野球部初練習開始、他の運動部も活動開始。
6月27日 進駐軍学校視察し、生徒、職員に対し試問。
9月28日 第1回総合体育大会にて相撲で谷本忠士、庭球で本校が優勝し、ともに第1回国体に出場。
10月27日 第41回体育大会開催。
12月23日 生徒大会開催。

4月1日 大社高等家政女学校に山田諠道校長就任。 
昭和22年
1947
3月25日 志岐実翁第12代校長就任。
4月1日 七生会館を教室に改装し、大社町立中学校第1分教場とす。
4月16日 学級別の遠足目的地を決定し実行す。 5月3日 新憲法施行記念式を挙行、続いて弁論大会開催。
5月14日 新応援歌が作成される。
8月 日 夏季休業中に各部の合同練習等が多くなる。
8月10日 県中等庭球大会で本校優勝。
8月11日 山陰中等学校陸上交歓競技会で総合2位となる。
9月13日 国民体育大会県予選で槇野茂樹100mで優勝、国体出場。
10月15日 本校創立50周年記念式挙行
11月30日 天皇陛下を大社神苑太鼓橋付近で奉迎送。

4月1日 大社高等家政女学校、一部教室を大社町立中学校第2分教場とす。
10月11日 梶谷延校長就任。
昭和23年
1948
1月30日 加藤弁三郎工学博士(16期)の講演。
3月2日 旧制中学最後の卒業式挙行す。
4月1日 学制改革により島根県立大社第一高等学校となる。
     新校章を制定す。
6月9〜11日 農繁期休業。
6月16〜19日 第二次農繁期休業。
6月23日 授業料値下げについて、職員会議・生徒大会
7月25日 卒業生会を「いなさ会」と改称し「いなさ」18号を発行。
9月15日 文芸誌「潮騒」を創刊。
10月23〜25日 開校記念式および記念行事(大社第二高校特別出演)。
12月15日 新教育委員が学校視察に来校。
     全山陰陸上競技会の800mリレーで優勝。

4月1日 大社高等家政女学校、学制改革により島根県立大社第二学校となる。
8月 日 山村に紙芝居の行脚。
11月20日 開校記念式を挙行。
11月22日 文芸誌「白沙」を創刊。
昭和24年
1949
2月17日 出雲市公会堂にてPTA大会。
3月3日 体育部室(20坪)竣工記念体育会。
4月1日 第一・第二両高等学校を統合し、島根県立大社高等学校となる。
     梶谷延第13代校長就任、男女生徒対面式。
5月10日 生徒自治会会則審議。
6月20〜21日 農繁期休業。
7月22日 演劇・音楽大会(午前)、後援会総会(午後)。
9月9日 サッカー部中国大会に出発。
12月10日 2時間授業の後「青い山脈」映画鑑賞。
昭和25年
1950
1月23日 進学適正検査実施。
1月30日 弁論大会。
2月11日 いなさ会、白鳥会(大社高女、大社二高卒業生)と合併
8月20日 文化部主催にて大社劇場で「映画と舞踊の会」開催。
8月25日 「図書館ニュース」第1号発行。
昭和26年
1951
2月18〜20日 文化部主催にて行楽館で「石の華」を上映、以後名作上映。
4月1日 松浦俊明第14代校長就任。
     しない競技部を創設。
8月12日 いなさ会にて恒松安夫知事、中島龍一県会議長、本山修策副知事就任祝賀会。
10月28日 野球場新設のため生徒・職員の勤労作業開始(延べ4400人)。
10月 日 国民体育大会出場(陸上)(しない競技部)。
昭和27年
1952
1月 日 新校歌制定
3月 日 高校4期卒業生に初めて新校歌を歌う。
7月5日 寄宿舎移築、野球場落成記念行事。
10月 日 国民体育大会出場(剣道)。
     演劇部「出雲阿国」・「夕鶴」を一般公開好評を博す。
昭和28年
1953
8月2日 いなさ会にて、山根新次島根大学学長講演(3期)。
昭和29年
1954
     第一回全国高校剣道しない競技大会に出場(以後34年まで連続6回県代表として出場。
昭和30年
1955
4月1日 槇原心一5代校長就任。
7月31日 第37回全国高校野球選手権大会東中国予選出場、岡山・玉島と対戦1対4で惜敗。
昭和31年
1956
4月 日 生徒募集定員200名となる、10学級定員500名。
5月 日 工作教室を講堂西側に移転し生物室とす。
5月 日 体操部結成。
昭和32年
1957
     5パーセント学区外入学許可。
4月1日 矢野甚市第16代校長就任。
4月 日 11学級定員550名。
6月20日 焼却炉新設。
     剣道部全国大会に出場。
12月1日 「潮騒」9号で終刊す。
昭和33年
1958
4月 日 12学級定員600名となる。
5月16〜18日 創立60周年記念式典、大谷孝太郎(17期)講演
5月17日 県高校剣道春季選手権大会団体優勝。
     60周年記念行事の一環として自動車部を設置。
昭和34年
1959
7月11日 温室竣工。
     第41回全国高校野球選手権大会県予選で 紛糾 す。
10月21日 阿部知二(小説家)来校。
11月22日 高文連オリンピアード会場。
昭和35年
1960
1月 日 第37回全国高校サッカー選手権大会初出場。
4月1日 新宮義一第17代校長就任。
6月29日 校内電話取り付け工事開始。
8月 日 第42回全国高校野球 選手権大会出場 、静岡高校と対戦、〇対2で惜敗。
10月 日 国民体育大会(熊本県)出場、剣道、サッカー
     庭球部全国大会出場。
昭和36年
1961
2月 日 生徒募集定員160名。
3月1日 生徒会機関紙「かしろ」刊行。
8月 日 第43回全国高校野球選手権大会に 連続出場
     1回戦札幌商高と対戦9対1で勝利。
     2回戦法政二校と対戦〇対4で敗退。
10月 日 美術教室、体育教官室等改修。
昭和37年
1962
2月 日 生徒募集定員220名。
6月 日 試食室等改修。
7月19日 社高新聞創刊。
昭和38年
1963
2月 日 生徒募集定員330名。
3月8日 高校15期卒業生一同から校旗寄贈。
4月1日 江角鉄造第18代校長就任。
8月 日 全国総合体育大会(青森県)出場(体操)。
8月5日 校内放送施設を更新。
8月12日 第45回全国高校野球選手権大会に 出場
     相可高校と対戦2対6で敗退。
昭和39年
1964
2月21日 火災報知器取り付け竣工。
4月28日 鉄筋2階建(4教室)等増築工事完了(急増対応)。
8月 日 全国総合体育大会(福井県)出場(体操女子)。
9月22日 オリンピック聖火リレー走者に九家彰外1名参加。
昭和40年
1965
3月31日 「大社高校野球部史」刊行。
4月1日 小畑昊第19代校長就任。
     寄宿舎階上を被服教室に改造(急増期ピーク)。
8月 日 全国総合体育大会(宮崎県)出場(体操女子団体)。
11月1日 保険(保健部機関誌)刊行。


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