(後列左から) 松田、飯塚、森山信、高畑、大国正
(中列左から) 北井監督、中筋、千家、若月、持田、岡田 (前列左から) 中部長、祝部、山崎、山本、森山明、大国昭 |
部 長 中 和夫 監 督 北井善衛 コーチ 青野修三(立教) 主 将 中筋和美 マネージャー大国正(三年) 投 手 若月宏之(二年) 捕 手 森山 明(三年) 捕 手 千家敬麿(二年) 一塁手 祝部豊久(二年) 二塁手 松田 武(二年) 三塁手 山崎登由(二年) 遊撃手 山本佳正(三年) 遊撃手 持田紘治(二年) 左翼手 大国 昭(三年) 中堅手 中筋和美(三年) 右翼手 高畑忠善(二年) 飯塚 孝(二年) 森山信雄(二年) 岡田公志(一年) |
西中国予選 一回戦 岩国商 1−0 出雲産 大 社 6−3 柳 井 決 勝 大 社 3−2 岩国商 晴れの西中国代表として甲子園出場が決まった大社校ナインは、8月1日朝、数十本ののぼりを立てて約3千人の町民が出迎える大社駅頭に降り立った。 帰還挨拶を終えたナインは自動車30台を連ねて歓迎一色にいろどられる中を行進し、先ずは出雲大社に参拝、そのあと昨年11月急死した松井春吉前野球部長の墓前に優勝を報告し、午前9時半在校生、町民ら約5千人の人波で埋まった高校校庭の祝勝会に臨んだ。まず野球部後援会長の曽田町長、石部PTA会長、蒲生町議長の祝辞についで、中筋主将、新宮校長、北井監督がつぎつぎと立って、町民の声援に感謝の言葉をのべるとともに甲子園でも期待にそうことを力強く誓った。このあと再びパレードに移り、笛や太鼓を先頭に大優勝旗をかかげて町内を行進した。 |
第42回全国高校野球選手権大会(兵庫県西宮市 甲子園球場) 8月9日大阪フィステバル・ホールで行われた抽せん会で大社高校の初戦の相手は、静岡代表の名門静岡高校と大会4日目第3試合と決まった。 第42回全国高校野球選手権大会は、雨で一日流れ12日から開幕した。晴れの30校ナインが前年度優勝校の西条高校を先頭に ”野球行進曲” に足取りも軽く行進が続き、大社高校ナインは12番目、中筋主将の掲げる優勝旗を先頭に一歩一歩甲子園の土を踏みしめて堂々の入場であった。参加者420選手を代表して徳島商中村健選手が力強く選手宣誓を行い、村山大会会長が始球を投げて熱戦の幕は切って落とされた。大社、静岡の一戦に対し新聞は次のような評を加えている。 「大型チームと定評のある静岡に向かう大社は堅実な短打法による攻撃型チームだ。大社のトップ中筋は予選で0.566の打率をあげた好リードオフマン。これに6番までの打力は侮れない。そして足を生かしたバント、ヒット・エンド・ランの機動力もある。静岡は5試合を連騰、わずか被安打12、三振55を奪い防御率0.43という快投の本格派石田投手を擁し、さらにバックの打線も一試合平均10安打を記録、特に石山・渡辺・佐野・田原の長距離打者をならべて0.303のチーム打率をあげている強チーム。」 |
一回戦(8月15日、第三試合) 15日の甲子園球場は久し振りの好天、グランド・コンディションもよく、照り付ける太陽はきびしいが風はさわやか、この日行われた3試合は熱を帯びた接戦が展開された。第三試合の静岡ー大社はまたも石田と若月投手の投げ合いとなり、静岡打線が1回幸運な野手失でつかんだ無死、1、3塁の先行機に石山の右犠飛で1点、3回には花城の長打と二つの犠打でむかえ入れて2点をリードした。石田投手は制球力を十分に生かして大社打線をわずか千家の1安打に押さえ、無得点に完封した。 静 岡 1 0 1 0 0 0 0 0 0 0 = 2 大 社 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 = 0 開始3時15分 終了5時32分 試合時間 2時間17分 審判ー相田(主審)、福村、平松、望月(塁審) <試合経過> (1回) 静岡=花城遊撃内安打、一塁高投で二進、稲葉投前バントは三塁送球、三塁ノータッチで花城三進、石山右翼犠飛で花城生還、渡辺右前安打、稲葉は二進、佐野右飛、田原右邪飛。 大社=中筋遊ゴロは石山身をていして好捕、高畑三振、山崎三振。 (2回) 静岡=横山左飛、大塚三振、石田三振。 大社=森山三振、若月二飛は稲葉背走好捕、祝部右飛。 (3回) 静岡=花城右中間二塁打、稲葉投前犠打、花城三進、石田投前スクイズ、花城生還、渡辺投飛内野安打、二盗、佐野三振。 大社=大国三振、松田投直、持田二直。 (4回) 静岡=田原三ゴロ、横山左飛、大塚二ゴロ。 大社=中筋四球、高畑遊ゴロ、中筋二進、山崎中飛、森山三振。 (5回) 静岡=石田三ゴロ、花城三塁強襲安打、稲葉左前安打、花城三塁盗失のとき稲葉二進、渡辺三ゴロで稲葉二、三間きょう殺。 大社=若月三ゴロ、祝部遊ゴロ、大国の代打千家右翼線二塁打、松田投ゴロ。 (6回) 静岡=(大社、大国退き、代打千家右翼、高畑左翼へ)渡辺三振、佐野三ゴロ、田原三遊間安打、横山打席のとき田原二盗失。 大社=持田投ゴロ、中筋三ゴロ、高畑投ゴロ。 (7回) 静岡=横山二ゴロ、大塚中飛、石田二ゴロ失、暴投で石田二進、花城二ゴロ。 大社=山崎二飛、森山二直、若月二ゴロ。 (8回) 静岡=稲葉二ゴロ、石山中飛、渡辺三振。 大社=祝部三振、千家三ゴロ、松田二ゴロ。 (9回) 静岡=佐野遊ゴロ、田原中飛、横山投ゴロ。 大社=持田二ゴロは稲葉右に走って好捕、中筋二飛、高畑の代打山本四球、山崎左飛。 <静 岡> 打 得 安 点 振 四 犠 盗 失 (左)花 城 4 2 3 0 0 0 0 0 0 (二)稲 葉 3 0 1 0 0 0 1 0 0 (遊)石 山 2 0 0 2 0 0 2 0 0 (捕)渡 辺 4 0 2 0 2 0 0 1 0 (右)佐 野 4 0 0 0 1 0 0 0 0 (中)田 原 4 0 1 0 0 0 0 0 0 (一)横 山 4 0 1 0 0 0 0 0 0 (三)大 塚 3 0 0 0 1 0 0 0 0 (投)石 田 3 0 0 0 1 0 0 0 0 残塁 5 31 2 7 2 5 0 3 1 0 <大 社> 打 得 安 点 振 四 犠 盗 失 (中)中 筋 3 0 0 0 0 1 0 0 0 (右左)高 畑 3 0 0 0 1 0 0 0 0 打 山 本 0 0 0 0 0 1 0 0 0 (三)山 崎 4 0 0 0 1 0 0 0 1 (捕)森 山 3 0 0 0 2 0 0 0 0 (投)若 月 3 0 0 0 0 0 0 0 0 (一)祝 部 3 0 0 0 1 0 0 0 0 (左)大 国 1 0 0 0 1 0 0 0 0 打右 千 家 2 0 1 0 0 0 0 0 0 (二)松 田 3 0 0 0 0 0 0 0 1 (遊)持 田 3 0 0 0 0 0 0 0 1 残塁 3 28 0 1 0 6 2 0 0 3 二塁打=花城(静岡)、千家(大社) 捕逸=森山(大社) |
【 評 】 大社は強豪静岡に善戦した。若月投手が小気味よい速曲球をびしびしと決めたのは静岡として予想外だったろう。。また1回に遊撃、三塁の二つの失策が重ならなかったら、1点を失わずにすんだろうし、その裏の攻撃で中筋の遊ゴロを静岡の石山が身を投げ出して捕らえ、一塁に刺した美技も大社にとっては不運だった。これに反して静岡はまことに楽なスタートを切った。1回、花城、稲葉が敵失に恵まれてチャンスをつかみ、石山の右犠飛で簡単に先取点をあげた。この得点で気を良く石田は、うわさ通り投げ下ろしの快投で大社の打線を1安打に押さえてしまった。さらに3回にも花城の二塁打を稲葉と石山のバントで返し2点目をあげ大社に乗ずるスキを与えず、そのまま押し切って勝った。しかし、静岡の勝利は会心のものではなかった。5回には花城が一死後三盗に刺され、また6回にも田原が走塁に失敗していたが、あまり脚力を過信しすぎてあたらチャンスをつぶしていた。これがなければもっと楽に勝てたのではなかろうか。静岡の勝因としては、やはり石田の好投をあげたい。後半も全然疲れをみせず、安定した投球ぶりは立派なものであった。またバックスの好守も石田を随分たすけていた。大社はせっかく若月が好投すながら守備力の差も明・暗の分かれ目となっていた。 |
子の刻参りと大応援団 この甲子園出場に当たっては、選手の家族が精神的に大きな支えとなった。選手の母親たちが真夜中の午前零時に稲佐ノ浜に集まり、そして海に入り海底の砂と、ジンバ草という海藻をとってあがり、それから武の神をまつる稲佐の速玉神社へ参拝し、更に出雲大社に参拝するといういわゆる ”子の刻参り” を一日も欠かさず行った。そして父兄達は選手の栄養補給から合宿の世話まで行い、まさに家族ぐるみの甲子園への戦いであった。 甲子園大会における応援団には、夫婦番内と大黒さん10人、巫女姿一人も加わって御幣や打出の小づちを振っての応援で甲子園の話題となった。試合前の14日夜大社町から貸切バス7台と夜行列車で千人の町民や学生が、また阪神地方、東京からも卒業生や出身者が続々かけつけ三千人にものぼる大応援団であった。ただ応援振りは極めて垢抜けしないものであったがこれはやむをえないことであろう。 前線のすえ敗れたナインを地元では盛大に迎えた。ナインは17日午後7時7分大社着急行「だいせん」号で帰った。駅頭では曽田町長をはじめ多数の町民が高張りちょうちんや小旗をもって出迎えた。選手らは「祝健闘」の横断幕の張られた目抜き通りを十数台の自動車をつらね、出雲大社正門勢溜で行われた町主催の歓迎会場に臨んだ。約三千人の町民が集まり、先ず伊藤生徒会長がナインの健闘をねぎらい、曽田町長が善戦をたたえて「来年を期待する」と激励したあと、多田応援団長が町をあげての応援にお礼をのべた。中筋主将・中部長・北井監督の謝辞のあと石部PTA会長の発声で大社ナイン万歳を三唱して歓迎会を終わった。この後ナインは出雲大社に参拝し、母校での茶話会に臨みジュースで乾杯した。 |
甲子園出場の感激 昭和35年度主将 中筋 和美 紺碧の空に緩く舞い上がった白球、優勝戦の岩国商業の最後の打球は僕のグラブに静かに入った。勝った、とうとうやったぞ優勝!飛び上がるベンチ、歓声をあげて旗を振る応援団、われわれは体を抱きあって喜んだ。どの顔を鮮やかな笑顔でした。北井監督の体は2転3転宙に舞う。だれもが目指す憧れの甲子園、今われわれはその栄誉を勝ち得たのだー。 思えばわが新チームのスタートは惨めであった。あのトラブルの制裁として半年間、一切の対外試合を禁ぜられ早速にある秋季大会に出場出来なかったのです。この半年間、われわれは何となく見放された孤独チームでした。監督がいなかったのも特にそんな感じを強めたと思う。こんな状態を皆一丸となって「おれたちだけでやるんだ」という意欲と研究で頑張りぬき、練習も例年以上にやりました。 新春を迎え、長かった制裁期間も終わり、再び北井監督を迎えてわれわれもやっと一人前のチームとなり、みんなの顔に明るさがよみがえってきました。やっと試合が出来る。この時ほど暖かくなるのを待ち遠しく思ったことはありません。夏の大会までの成績は立派なものでなく新聞はBとかCと予想していたが、われわれは相当やれる自信がありました。怪我人もなくベストの状態で試合に臨み、第一、第二試合と戦っていくうちに相手が恐いとか敗けるとかいう気は毛頭なく、全く勢いに乗ってきた。どこにも完勝で県代表となったが、中でも代表を決める松江商線が最も充実した試合でした。西中国予選もその調子を持続して柳井高に、優勝戦の岩国商業に勝ったが、流石に県予選では感じなかった恐さがあり、常にリードしていても追いつかれそうで早く試合が終わってくれと祈っていたほどです。 29年ぶり、4度目の甲子園出場が今ここに実現したのです。これもすべて立派な指導者と町民の暖かい後援に恵まれたこの素晴らしい環境のおけげだと思います。今は亡き竹内さん、高橋先生、西倉先生には特に親しく指導を受けていたのでだれにもまして喜んでいただきました。 いよいよ全国大会の入場式が始まった。十数万の瞳が見守る中を西中国代表としてあの黒い柔らかな土、鮮やかな緑の芝草を踏んで一歩一歩力強く行進した時、何とも言えない幸福と感激に胸の中はいっぱいになりました。われわれが相対した静岡高校は精錬された都会的チームでした。石田投手は2年でしたが、切れのよいシュートを持つコントロールの素晴らしい投手でした。われわれがついに打てなかったのはkのシュートの威力によるものです。今大会では優勝した法政二高の柴田投手に次ぐ投手といわれたほどです。 異常な雰囲気の中でわれわれは特に堅くなっていたと思われます。終始静岡のペースで何も施すことなくあっという間に試合が終わってしまい、ものたりなく感じました。 静岡高校は滑翔戦まで勝進んだチームだけに最初に当たったのは不運でしたが、この強豪に対し善戦したのだから悔いはありません。 静岡の石山首相と石田投手は早稲田大学で、また渡辺捕手は立教大学で若月とバッテリーを組んで共に六大学で活躍しています。 |
Kinki Inasakai