昭和38年 第45回全国高校野球選手権大会

(後列左から) 中部長、松尾、児玉、椿
(前列左から)  影山、  秦   、
部 長 中 和夫          監 督 小田川幸市         コーチ 青野修三(立教)
主 将 影山康郎         マネージャー椿昌道(三年)      投 手 松尾 勇(三年)
捕 手 船木健二(二年)      一塁手 秦 伸介(三年)      二塁手 川上 潤(二年)
三塁手 松木信生(一年)      遊撃手 影山康郎(三年)      左翼手 川上英二(二年)
中堅手 児玉光正(三年)      右翼手 石田喜代志(一年)         永見嘉行(二年)
    片寄久雄(二年)          高橋貞男(一年)          渡部修綱(一年)
    佐野 栄(一年)          小田川光徳(一年)         山本 稔(一年)
    森山 勉(二年)          後長佳男(一年)          石田智士(一年)
    稲葉 稔(一年)
島根県大会
一回戦
不戦勝
二回戦
津和野 000 000 001 = 1
大 社 000 020 20X = 4
 ▽三塁打=吉田(津和野)▽二塁打=佐伯、吉田(津和野)石田(大社)▽失策=中野(津和野)川上潤(大社)
三回戦
大 社 010 002 000 1 = 4
安 来 000 100 101 0 = 3
▽本塁打=加納(安来)川上栄(大社)▽二塁打=佐野、松尾(大社)森本、山尾(安来)
準決勝
大 社 000 010 100 = 2
松江商 010 000 000 = 1
▽二塁打=松尾(大社)井戸内、渡部(松江商)
決勝戦
大 社 000 120 000 = 3
邇 摩 000 001 001 = 2
▽審判=入沢、和田、西井、佐藤
▽三塁打=石田(大社)松本藤(邇摩)▽二塁打=松尾2(大社)大野、縄(邇摩)▽犠打=大社1、邇摩2▽暴投=松尾(大社)
【評】決勝戦にふさわし最後まで予断を許さない好ゲームを展開したが、大社高は勝負強さを遺憾なく発揮し、6安打のうち4安打を得点に結びつけた。大社高は邇摩小原投手の内角球、カーブを捨て、外角球一本をねらう作戦に出たが、これが的中、4回には影山を2塁に置いて松尾が2−1後外角高めの直球を右中間二塁打で1点、5回には2死後石田が外角球を3塁打して2者を還した。邇摩高は六回1点を返し、最終回1点を加えてなおも2死1塁、3塁のチャンス。決勝戦の幕切れはまさに全観衆緊張の一瞬であった。1塁、3塁の走者に最後の望みを託したダブル・スチールも、大社高船木捕手から影山遊撃手に送られたボールがさらにホームに転送され、ホームにすべり込んだ邇摩高長尾選手にタッチされ主審の右手が高々と上げられた。
勢溜での祝勝会の写真
勢溜での祝勝会(影山主将の挨拶)
 その瞬間すでに総立ちになっていた一塁側スタンドの大社高応援団は大歓声をあげ、30人あまりのファンがグランドへ両手をあげて飛び出した。どの顔も泣き笑いの顔。喜びをかみしめて試合終了のあいさつをすませた選手達はそのまま応援席に並び、中沢孝昭団長ら応援団のリードで応援歌の祝福をうけた。このナイン一同は小田川幸市監督のもとにかけ寄って胴上げ、試合の苦しみも吹き飛ばすかのように2回3回と高くほおりあげた。
 午後7時15分、優勝旗を先頭に大社に到着。駅前広場を埋めた人波、提灯、林立する幟、わき上がる歓声と拍手、盛大な歓迎であった。10数台の車に分乗してブラスバンドを先頭にパレード、勢溜で祝勝会が催された。蒲生町長、小林PTA会長の祝辞と激励を受けた後、出雲大社に優勝を報告し、再び町内をパレードした。
第45回全国高校野球選手権大会(兵庫県西宮市 甲子園球場)
 甲子園に向かって大社を出発したのは8月5日であった。駅前で歓送会は数十本の幟がはためき盛大であった。蒲生町長、小林PTA会長、増井生徒会長らの激励の言葉とブラスバンド、応援歌に送られて10時30分急行「だいせん」号で大社を発った。途中出雲、松江、米子の各駅でも盛大な見送りを受けた。
 宿舎は35年前と同じ「かぎや旅館」である。練習は甲子園球場、大阪ガス球場等で行った。
 抽選会は8月7日9時半から新朝日ビルのフィステバル・ホールで開かれ、影山主将がくじをひいて第3日第3試合において三重県代表相可おうか高校との対戦が決まった。
甲子園球場の選手写真
出場チーム(甲子園球場にて)
(後列左から) 中部長、秦、児玉、川上潤、松本、高橋、小田川、小田川監督、椿
(前列左から) 江角校長、(優勝旗)影山、佐野、松尾、船木、石田、川上英、永見、渡部
相可高校と試合前挨拶に向かうナイン
相可高との試合開始
 一回戦(8月12日、第3試合)
 快晴のこの日甲子園、西宮で1回戦書く試合が行われた。中部長、北井先輩、小田川監督の注意、江角校長の激励を受けて午後0時半宿舎を出発、甲子園球場前の甲陽高校グランドで最後の仕上げを行い試合に臨んだ。ベンチは3塁側。
 大社高と相可高の試合は8回裏途中から点灯され、今大会2度目のナイトゲームとなったが、5回重盗くずれから1点をとった相可高が、8回青木の2塁打を足場に激しく攻め、地主の3塁打などで一挙5点をあげ、最終回大社の猛反撃をかわした。

大  社 000 000 002 = 2
相  可 000 010 05 × = 6
 開始午後3時53分 終了6時23分 試合時間 2時間30分
 審判ー中西悠(主審)、八木、石岡、鈴木(塁審)杉岡、上野(線審)

 <試合経過>

(1回)
大社=石田一塁ゴロ、影山右前安打、打者川上英のとき投手けん制に刺される。川上英右前安打、松尾投ゴロ。
相可=中村遊ゴロ、地主三振、浜地四球、打者青木のとき浜地二盗、青木四球、末良二ゴロ。
(2回)
大社=船木、佐野ともに四球、松本投飛、児玉の第1球目に重盗も船木三塁にタッチアウト、児玉遊ゴロ。
相可=池田四球、山本送りバントで二進、打者池畑のとき投手けん制で刺される。池畑遊ゴロ。
(3回)
大社=川上潤三振、石田右前安打、影山一ゴロは一塁手が二塁に悪送球、川上英三ゴロで影山二封、松尾三振で石田、川上残塁。
相可=河合、中村ともに三振、地主右前安打、浜村三遊間安打、青木二ゴロで浜村二封、地主と青木残塁。
(4回)
大社=船木左飛、佐野一ゴロ、松本二飛。
相可=末良死球、池田二飛、山本右前安打、池畑テキサス安打、河合遊ゴロで末良本封、浜村二飛で三者残塁。
(5回)
大社=児玉中飛、川上潤四球、石田三進、影山一、二塁間安打、川上英遊ゴロで影山二封、
相可=地主バント安打、打者浜地のとき二盗、浜地四球、青木投ゴロで地主三封、打者末良のとき重盗するも青木二塁にタッチアウト、川上潤の野選で浜地生還、末良三邪飛。
(6回)
大社=松尾中前安打、船木三振、松尾二盗失敗、佐野三振。
相可=池田中飛、山本二ゴロ、池畑三邪飛。
(7回)
大社=松本、児玉、川上潤の三者三振。
相可=河合中飛、中村中前安打、打者地主のとき二盗、地主一ゴロで中村三進、浜地遊ゴロ。
(8回)
大社=石田投ゴロ、影山三振、川上英三塁強襲安打、松尾三振。
相可=(大社高一塁手秦となる)青木右超二塁打、末良捕ゴロ、池田中飛、山本中前安打、池畑二ゴロを秦一塁手後逸で青木生還、河合四球、中村四球で押し出しの山本生還、地主右翼線三塁打で走者一掃、浜地残塁。相可5点を加える。
(9回)
大社=船木左前安打、永見遊ゴロ失代打、高橋一ゴロは一塁からの送球を遊撃手落球して船木生還、児玉バント安打で満塁、代打小田川遊ゴロで児玉、小田川併殺の間に永見生還、高橋三進、石田投ゴロ
相可=

<大 社>    打  得  安  点  振  四  犠  盗  失
 (右)石 田  5  0  1  0  1  0  0  0  0
 (遊)影 山  4  0  2  0  1  0  0  0  0
 (左)川上英  4  0  2  2  0  0  0  0  0
 (投)松 尾  4  0  1  0  2  0  0  0  0
  一 松 尾
 (捕)船 木  3  1  1  0  1  1  0  0  0
 (一)佐 野  2  0  0  0  1  1  0  0  0
  一  秦   0  0  0  0  0  0  0  0  1
  投 永 見  1  1  0  0  0  0  0  0  0
 (三)松 本  4  0  1  0  1  0  0  0  0
  打 高 橋  1  0  1  0  0  0  0  0  0
 (中)児 玉  4  0  1  0  1  0  0  0  0
 (二)川上潤  2  0  0  0  2  0  0  0  0
  打 小田川  1  0  1  0  0  0  0  0  0

    残塁 8  34  2   8  0  10  0  0  1  0

<相 可>    打  得  安  点  振  四  犠  盗  失
 (二)中 村  4  1  1  1  1  1  0  1  0
 (右)地 主  4  0  3  3  1  0  1  1  0
 (遊)浜 地  3  1  1  0  0  2  0  1  2
 (投)青 木  3  1  1  0  0  1  0  0  0
 (中)末 良  3  0  0  0  0  1  0  0  0
 (捕)池 田  3  0  0  0  0  1  0  0  0
 (一)山 本  3  1  2  0  0  0  1  0  1
 (左)池 畑  4  1  1  0  0  0  0  0  0
 (三)河 合  3  1  0  0  1  1  0  0  0

    残塁 9  37  6  10  4  3  7  2  3  3

    ▽三塁打=地主(相可) ▽二塁打=青木(相可) ▽併殺=相可2
【 評 】
 両チームとも前半走者を出したが、バント失敗や投手けん制につぶされるというまずい攻めがあった。しかし、青木が左腕から慎重に内外角にカーブと直球をきめ、大社打線をかわせば、松尾は真っ向から力で押さえる好投をみせ試合は1点を争う熱戦となった。
 その均衡を破ったのが相可。試合を押し気味に進めていた相可は5回先頭の地主がバントで生き、強引に二盗、浜地は四球、青木はバントしたが、地主が二封され、一死一、二塁。次打者末良のとき浜地、青木が重盗。捕手からの送球で青木は二塁寸前でタッチアウトになttが、浜地は三塁を大きくオーバーランし、一度止まってから、そのまま本塁へ突っ込んだ。しかし、捕手の船木がスリーアウトと勘違いしたか本塁を離れてがらあき。投手の松尾はあわててカバーにはいったが、その虚をついて浜地は頭からすべりこんで生還。あまりにも痛い船木のボーンヘッドだった。8回には先頭の青木が右へ二塁打、二死から山本が中前安打して一、三塁。続く池畑二ゴロ。二塁手からの送球を秦が後逸する間に青木生還、やらなくてもよい点を与えた。相可はさらに松尾を攻め、2四球で満塁のあと地主の三塁打が出て大量5点を加えた。大社は青きに10個の三振をとられ、好機らしい好機をつかめなかったが、9回、船木の安打から二つの敵失と安打で1点をかえし、なお無死満塁と必死の攻撃をみせたが、代打小田川の一撃は相可の併殺網にかかり1点を追加しただけで反撃を断たれた。松尾が青木に劣らない力投をみせていただけに気の毒だった。(田口)
甲子園の土

昭和38年度投手 松尾 勲

 「全国大会へ再び」の決意をみなぎらせて、強烈な日ざしの下、先輩の指導のもとで、太陽が西に没するまで汗と泥にまみれて白球を追い回した。練習に練習を重ね、夏の大会のために苦しんで得た技を思い残すことなく出しきり、一戦一戦充実した試合をやるのだ、そして全国大会出場という厚い壁をつき破るのだという目的を持って技をみがいた。
 とうとう待望の大会がきた。第一戦、二戦、三戦と勝ち進み、全国大会出場を栄冠をかける決勝戦がやってきた。終始緊迫したゲームを展開し、ただ闘志と闘志の戦いとなってしまい、伝統の強味を発揮して邇摩高を倒し晴れの全国大会の出場権を2年振りに獲得した。あの最終回二死後、邇摩高が、重盗に出てきた時の捕手ー遊撃手ー捕手の好リレーはマウンドにいる僕には、三塁ランナーが走ったのにもぜんぜん気がつかなかった。振り返って見ると、主審の右手が高々と上がり、チーム全員がかけよって来、歓声と泣き声で肩をたたき合いながら、「よかった」「よかった」と口々に言って喜びあった。応援団の人々の祝福の言葉を受けて、長い苦しかった優勝への道を、泣き笑いの顔でかみしめていた。
 県代表の名誉をになって、全国大会への調整練習。「甲子園ではやるぞ」「一つでも二つでも必ず勝って見せるぞ」と語り合い練習に励んだ。こうして郷土の期待を担って甲子園の土を踏んだ。甲子園球場の白いスタンド、緑の芝生、黒い砂は、2年前とはちっとも変ってはいなくて、ただ今度は自分がマウンドに立てる。バッターとして立てる。マウンドから思い切り投げてやる。必ず相手を倒してやるぞと想像しながら、あこがれの甲子園の土をじっくりと踏みしめて感激を味わった。第一試合は三重県代表の相可高校と対戦することになり、先輩や監督さんなどから、相手校の話を聞いたり週刊誌の記事を読んで、いろいろな情報を知った。「ピッチャーは左だぞ」「左には弱くて」「おら、左にゃつよいぞ」などと話し合った。
第45回全国大会甲子園入場行進する大社高チーム
甲子園の入場行進
 待ちに待った第45回大会の入場式の日がやってきて、ユニホーム、帽子、アンダーシャツ等真新しいのを着て球場に行った。色とりどりのユニホームを着た各高校の選手たちも県代表の旗を持って集まっていた。入場式では広陵高校の後に続いて入場した。スタンド内は白一色、何万人といる観衆の前を行進。国旗、大会旗がスコアボードの上に高く揚がっていた。真夏の球宴にふさわしい入場式、それに出られる感激は2年前より一層強いものだった。
 第一戦の日が来た。宿で監督さんや先輩とサインを確認し、校長先生の激励の言葉を受けてグランドへ出発した。甲陽高校グランドで肩ならし程度の練習をし、甲子園に乗り込んだ。試合はご承知の通り球運に恵まれず健闘むなしく敗れてしまった。しかし、悔いはなかった。力いっぱい戦った最後の攻撃。最後まで闘志を燃やし、相可高校から2点を奪い返した。こうして甲子園で思う存分プレーが出来、スタンドからの拍手は「よくやった。来年またこいよ」と僕たちに言っているかのようだった。
 ここで甲子園2回出場の感想を書いて見よう。1年生の時、はじめて見る甲子園の白いスタンド、緑の芝生、真っ黒い砂は3年生の時もきれいに映えていた。2年前僕達の前に浪商が60〜70名で、大声を上げて練習していたのは、地方では見たことがなく、驚いてしまった。法政二高戦の前、甲陽グランドで2校入り混じって練習しているとき、今は巨人軍にいる某君にボールがあたりそうになり、僕が注意しなかったので、思い切りどなられたり、甲子園のベンチの中では、名物のアドバルンが何個浮いているのかと、数をかぞえたり、地方予選のようにバットを取りに出なくてもよいので、まったく手持ちぶさただった。高校での野球最後の年、運よく再び甲子園に出場できたことを幸福に思ったり、甲子園でまともに試合が出来るだろうかと思ったりした。
 2年ぶりの甲子園はまったく変わっていなかったが、気持ちが高ぶっていたせいか上がってしまった。試合では、僕は2回ほど得点チャンスがきたのだが、どの打席も三振してしまった。8回のピンチは夢中で投げたが5点ほど取られてマウンドを下りた時ほど、自分がみじめで悔しかったことはなかった。このように1年生の時の甲子園出場は自分がまだ野球というものをはっきり知らないままに出場できたことに疑いの念が強かった。
 3年生の時は曲りなりにも僕たちの手で出場出来たので、よりうれしかった。こうして全国大会出場で得たものは、どのような小さな力でもお互いにカバーさう『和』の精神を少しでも得たこと、最後の最後まで勝負を捨てない根性を植えつけられたこと、努力すれば、そこに自然と自分たちの行く道が開けることなど。高校時代の野球は技術だけでなく精神面の充実が大切だと思った。
 僕は高校卒業後は一社会人として、ひき続き野球をするのだが、汗と泥にまむれ「試合で負けて泣くな、練習で泣け」という気はくで進んできたことを忘れず、努力をつみ重ねて一歩一歩前進していきたいと思っている。



Kinki Inasakai